【町はずれの円形劇場あとにまよいこんだ不思議な少女モモ。町の人たちはモモに話を聞いてもらうと、幸福な気もちになるのでした。そこへ、「時間どろぼう」の男たちの魔の手が忍び寄ります…。「時間」とは何かを問う、エンデの名作。】
人間が人間らしく生きることを可能にする時間、そういう時間がわたしたちからだんだんと失われてきた・・・・モモ(浮浪児だけどみんなから大事にされている)は、管理された文明社会のわくの中にまだ組みこまれていない人間、現代人が失ってしまったものをまだゆたかに持っている自然のままの人間の、いわばシンボルのような子ども・・・・・人びとは時間をうばわれることによって、ほんとうの意味での「生きること」をうばわれ、心の中はまずしくなり、荒廃してゆきます。
この物語は過去のものではなく、これからのことなのかもしれないのです。(訳者のあとがきより)
1972年に書かれたこの作品に、現代を見ます。
時間の節約、時は金なり、スピードアップ、簡単に、能率よく、効率を上げて、、、と次々に”便利な”道具を発明し使いながら、そこで節約したはずの時間をゆっくりと使うことなく、ますます忙しく生きる現代人。
時間とはすなわち生活なのです。
そして生活とは、人間の心の中にあるものなのです。
人間には時間を感じとるために心というものがある。
もしその心が時間を感じとらないようなときには、その時間はないもおなじだ。
無駄だと思わなければ無駄な時間はひとつもなくなるのですね。
(灰色の男たちに盗まれた)死んだ時間・・・死んだ時間を受け取ったら病気になる
致死的退屈症・・・
「時間がない」「ひまがない」と言っている人は、「灰色の男たち」に時間を盗まれているのかもしれないですね。時間があっても、無気力、無関心、憂鬱、不満、、、という人は、灰色の男たちが盗んだ死んだ時間を受け取っているのかも。
灰色の男たちに世界(自分の人生)を乗っ取られない、支配されないように気をつけたいです。
星5つ
多分、私も子どもの頃に一度は読んだと思うのですが、大人になってまた読み返してみると作者のメッセージがものすごく伝わってきます。
時間は節約しておいて後で使おうと思っても、そんなことはできないのですね。
マイペースで、(ワタシはスロー^^)
その時その時を有意義に生きることですね。
この「モモ」を題材にしたお芝居を観に行ったことがありましたよ。
初、歌劇だったかな。
心に今も残ってます。