>条件付きの慈悲はお釈迦様の説かれた慈悲ではありません。
(ゴキブリだけは許せないとか、意地悪な人は痛い目に遭えばいいんだ、とか)
>条件をつけたくなるのは、自我の錯覚があるからです。
自分の命は他人の命より大事だと思っているからです。
人間だから、こういう気持ちは誰にでも普通にあるでしょう。
しかし、幸福に至るには、この「自我意識(エゴ)」を乗り越える必要があります。
慈しみの心を育てる必要があるのです。
「無条件の、無量の、無制限の慈悲」を心の中に育てるのです。
「一切の生命」「生きとし生けるもの」が対象なのです。
その範囲は?
第8偈
メッタン チャ サッバ ローカスミン マーナサン バーワイェー アパリマーナン
(慈しみの心を一切世間(すべての生命)に対して、限りなく育ててください。)
ウッダン アドー チャ ティリヤン チャ
(上に、下に、横(周り)に[棲む如何なる生命に対して]も、)
アサンバーダン アベーラン アサパッタン
(わだかまりのない、怨みのない、敵意のない心を育てます。)
いつ?
第9偈
ティッタン チャラン ニスィンノー ワー
(立っている時も、歩いている時も、坐っている時も、)
サヤーノー ワー ヤーワタッサ ヴィガタミッドー
(あるいは横になっていても眠っていない限り、)
エータン サティン アディッテェッヤ
(この[慈悲の]念を しっかり 保ちます。)
ブラフマメータン ヴィハーラン イダマーフ
(これが梵天(崇高なもの)の生き方であると言われています。)
いつでもどこでも、
「生きとし生けるものが 幸福でありますように」
という思いを持ち続ける。
精進、精進、、、ですね。(^^)
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