ヘンデルがローマに到着したのは、1706年12月か1707年1月とされています。
最初に滞在したのは、パンフィーリ枢機卿の邸であったようです。
パンフィーリ枢機卿は、教皇インノケンチウス十世を大おじにもち、美術や音楽を保護し、コレッリ、フランチェスコ・ガスパリーニ、ボノンチーニ兄弟などを雇い、日曜日毎に演奏会を開き、また、自らもオラトリオの台本やカンタータの詩を作っていました。前回の記事で紹介したCD、パンフィーリ作詞の器楽伴奏付きカンタータ「愛の妄想」(HWV99)は、ヘンデルがパンフィーリ邸に滞在し始めた1707年1月か2月頃の作品と考えられています。
パンフィーリは、自らの台本によるオラトリオ「時と悟りの勝利」(HWV46a)を1707年5月頃にヘンデルに依頼しています。この曲の初演の場所、日時は不明ですが、パンフィーリ枢機卿の邸またはオットボーニ枢機卿のカンチェッレリーア宮殿で初演されたとも言われています。この曲のリハーサルで、コンサート・マスターのコレッリは激しいフランス風序曲が理解出来ず、ヘンデルはイタリア風の序曲に置き換えたとされています。
また、パンフィーリ枢機卿はヘンデルを賛美するカンタータの詩を書いて、ヘンデルに作曲させています(「ヘンデルよ、私のミューズは」(HWV117))。(続く)。
(出典:三澤寿喜著「ヘンデル」、音楽之友社、2007年)