95歳で母が逝って7日になる。
さほどの苦しみもなく、希望通りに最後まで自宅で看取れたことで先ずはホッとする。
安らかに天寿を全うという表現でよいと思う。
90歳ごろまで裏の畑で野菜作りに勤しんでいた母である。
丁度二年前に脳梗塞を発症し半身麻痺の不自由な体となったが、デイサービスや毎月一回、1週間のショートステイを利用させてもらっていた。
ショートステイ中夏祭りがあったが、車椅子で盆踊りの輪に入れてもらったり、カラオケ大会にも参加させてもらった。
施設の職員さん方にも大切にして頂き、前向きな老後の生活を送っていたといえる。
この1ヵ月半、体調を崩しデイサービスにも行けないでいた。
医師の往診や訪問看護、ヘルパーさんの支援を受けて自宅療養を続けていた。
短期間点滴注射を受けただけで、少しづつでも重湯やヨーグルト、具無しの茶碗蒸し、プリン、葛湯、リンゴ汁、みかんの汁などを食べてくれた。
茶碗蒸しやプリンを作るのに圧力鍋が大変役立った。
最後の日の夕食まで食べてくれたことを良しとしよう。
花好きな母には、式場から溢れるほどのいっぱいの花と大勢の人々に見送ってもらい、夫や59歳で逝った次男のもとへ旅立つことが出来た。
さほどの苦しみもなく、希望通りに最後まで自宅で看取れたことで先ずはホッとする。
安らかに天寿を全うという表現でよいと思う。
90歳ごろまで裏の畑で野菜作りに勤しんでいた母である。
丁度二年前に脳梗塞を発症し半身麻痺の不自由な体となったが、デイサービスや毎月一回、1週間のショートステイを利用させてもらっていた。
ショートステイ中夏祭りがあったが、車椅子で盆踊りの輪に入れてもらったり、カラオケ大会にも参加させてもらった。
施設の職員さん方にも大切にして頂き、前向きな老後の生活を送っていたといえる。
この1ヵ月半、体調を崩しデイサービスにも行けないでいた。
医師の往診や訪問看護、ヘルパーさんの支援を受けて自宅療養を続けていた。
短期間点滴注射を受けただけで、少しづつでも重湯やヨーグルト、具無しの茶碗蒸し、プリン、葛湯、リンゴ汁、みかんの汁などを食べてくれた。
茶碗蒸しやプリンを作るのに圧力鍋が大変役立った。
最後の日の夕食まで食べてくれたことを良しとしよう。
花好きな母には、式場から溢れるほどのいっぱいの花と大勢の人々に見送ってもらい、夫や59歳で逝った次男のもとへ旅立つことが出来た。
こんな時に、なんと言っていいものか。。。
お母様は最後までピア・ビーさんとご一緒で幸せな気持ちで旅立たれたと思います。
ご冥福をお祈り致します。
ピア・ビーさん、気を落とされませんように。
さぞさぞ・・でも晩年ビア・ビーさんやかわいいビースケ君やチャコちゃんに囲まれて穏やか人生送られ長寿全うされた すばらしいことと思います
心の支え失われた寂しさ、しばらくはおつらいでしょうが、がんばってください!
お母様のご冥福心よりお祈り申し上げます
介護大変頑張っておられたので
訃報の書き込みに驚きました。
お邪魔したときの、控えめな姿が
いまも印象に残っています。
95歳、しっかりと長寿を全うしたことを
誇りに思い、故人を偲んであげてください。
あまり上手く表現できないことお許し願います。
寂しさというより、無事(変な表現ですが)送り出せたことにほっとしてます。
というのは、往診をしてもらっていた町の診療所は年末・年始は休診になるので、その時危篤状態になったらどうしようと・・・・。
救急車で連れて行くのも辛いなと心配していたの。
希望通りに自宅で町の医師に最後を診てもらえたのでよかったです。
綺麗な安らかな顔で逝ってくれました。
95歳と云えば、充分に生きたと思います。
不自由な体になって丸二年・・・それでも生きることへの希望は最後まで無くしていませんでした。
でも、流石に最後の2~3日は別れの言葉を口にしてくれました。
まあ、田舎のお婆さんとして恥ずかしくない立派な生き方といえるでしょう。
私は、今のところ大丈夫です。
むしろ開放感というか・・・・。ほっとしてます。
ユーちゃんもお父様の介護を一生懸命されているので、人事ではない思いをしてくれているのでしょう。
でも、母はもう95歳・・・良い逝き方だったと思っています。
さほどの苦しみもなく旅立てたことを感謝したい気持ちなのです。
ご心配いただきありがとう。