82年前、日本のひな祭りのころ世界児童親善会事務局長であったシドニー・ギューリック博士の呼びかけで「青い目の人形」が日本の子供たちにプレゼントされた。
その年のクリスマスに日本からも答礼人形として「市松人形」が贈られた。

三重県からは「ミス三重」が子ども達の160通の手紙と共に送られた。
今は、ネブラスカ大学州立博物館に大切に保管されているという。
その手紙の束に、当時、県立師範付属小学校6年の鈴木冨美さんが作詞・作曲した「さらばゆきませ三重子さま」の歌と楽譜が添えられていた。
「星のお国へはるばると 日本の子らの真心を 伝えるつとめ 負うてゆく いとも尊きこの使い」
この度、多くの人々の善意で「ミス三重」の里帰りが実現し、修復を受けて再びアメリカに渡るという。
身長が82センチもある立派な市松人形で、衣装も当時のままで少し色あせているがそれが又しっくりとすばらしい。
持ち物のお道具もみごと。

里帰り運動の資金を募る一環として、熊野市の絵手紙の会の皆さまも紙人形のお雛様を作り販売して協力したという。

カテゴリーを桐塑人形に入れましたが、ミス三重は桐塑人形(とうそにんぎょう)ではありません。
多分、木彫の三折人形だと思います。 間違っていたらゴメンなさい。
その年のクリスマスに日本からも答礼人形として「市松人形」が贈られた。

三重県からは「ミス三重」が子ども達の160通の手紙と共に送られた。
今は、ネブラスカ大学州立博物館に大切に保管されているという。
その手紙の束に、当時、県立師範付属小学校6年の鈴木冨美さんが作詞・作曲した「さらばゆきませ三重子さま」の歌と楽譜が添えられていた。
「星のお国へはるばると 日本の子らの真心を 伝えるつとめ 負うてゆく いとも尊きこの使い」
この度、多くの人々の善意で「ミス三重」の里帰りが実現し、修復を受けて再びアメリカに渡るという。
身長が82センチもある立派な市松人形で、衣装も当時のままで少し色あせているがそれが又しっくりとすばらしい。
持ち物のお道具もみごと。

里帰り運動の資金を募る一環として、熊野市の絵手紙の会の皆さまも紙人形のお雛様を作り販売して協力したという。

カテゴリーを桐塑人形に入れましたが、ミス三重は桐塑人形(とうそにんぎょう)ではありません。
多分、木彫の三折人形だと思います。 間違っていたらゴメンなさい。
2年前の4月、母が4ヶ月の入院生活からやっと開放されて、3ヶ月間老健施設のK苑にお世話になった。
その時苑の周りのフェンスに咲いていた清楚な白いばら。
綺麗ですねと褒めたら、職員さんが一枝切ってくれた。
それを2つに分けて挿し木にした。
2本とも順調に根付いたので一昨年の春定植したのが、初めて咲いた。

二年半でこんなにも大きくなり驚いている。
一本が2メートル近くも横に伸び、4メートルもの垣根に成長。
野生に近いばらなのか元気、元気!
思い出すのは、以前にMバラ園から取り寄せた「サニーサイトホワイト」なるばら。
このばらもグングン伸びたが、咲いた花は野バラと殆ど変わらなかった。
野バラは、すごく蔓延るのでこのあたりでは嫌われもの。
慌てて切って、根も丁寧に抜き取った悔しい思い出がある。
その時苑の周りのフェンスに咲いていた清楚な白いばら。
綺麗ですねと褒めたら、職員さんが一枝切ってくれた。
それを2つに分けて挿し木にした。
2本とも順調に根付いたので一昨年の春定植したのが、初めて咲いた。

二年半でこんなにも大きくなり驚いている。
一本が2メートル近くも横に伸び、4メートルもの垣根に成長。
野生に近いばらなのか元気、元気!
思い出すのは、以前にMバラ園から取り寄せた「サニーサイトホワイト」なるばら。
このばらもグングン伸びたが、咲いた花は野バラと殆ど変わらなかった。
野バラは、すごく蔓延るのでこのあたりでは嫌われもの。
慌てて切って、根も丁寧に抜き取った悔しい思い出がある。