これは今年の冬、一月中旬に撮ったもので、今さらながらですがアップしておきます。
ここの城は明治維新に取り壊されたものですがその際、写真撮影や実測図作成されていません。
文献での主要寸法、城郭絵図の中の目印的な建物画、風景画家による名所案内的な絵図のようなものしか残されていません。
それでも地元のお城好き・町おこし好きな人たちは「復元」を目指します。
城郭を研究・考証することはそれなりの意意義あることですが、面白半分に造っちゃおうということに税金を使うことは許されませんから寄付金を主に当てにしているようです。
写真にある三重の本丸丑寅櫓は地方創生交付金という国からのとんでもないバラマキの金で私なんかは「知らんどる間にできちゃった」という感じでした。
後からできた二重の二の丸丑寅櫓は城郭建築の専門家が色々考証して、地元趣味の研究家とも意見交換しているようです。町おこし観光関係からはなるべくデラックスなものをと要望しますが、研究線専門家は3万石の城の隅櫓はこんなものだという感じで設計で建築され、ちょっと軽い感じが楽しいです。
昔の三重本丸櫓は何かかっこう良すぎです。
明治初期の廃城時に写真一枚、外形だけでも実測図を作らなかったのが残念です。それが、そんなに後世に残すほどのものではなかったと人々が考えた証拠ともいえます。
本丸丑寅(東北)櫓
本丸丑寅櫓の石垣北面。下部は草木に埋もれていたのを掘り出した。
この石積みは勾配が50度くらいで石積みとしては緩い勾配だ。盛り土でなく洪積台地を堀りとった斜面なら土の斜面でもかなり安定なので、「石積み」というより雨風の浸食を防ぐ意味で石を「張った」ものと考えられる。
石垣は10年も経てば草木が生えて緑になってしまう。2、3年前にこれらの草木をはぎ取って整備した記憶。
本丸丑寅櫓東面。
辺長のわりに高さを低くしたり、三層の屋根の縮小比率、黒い下見板張りのせいで隅櫓のわりにかっこよすぎ。
二の丸の正門(鍮石門)
最近できた二の丸丑寅櫓南面(この面には窓無し)。本丸のに比べ軽そうで石積み櫓台の天端に小さな石を積みなをしているのがかわゆい。
完
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