奪われる日本 (講談社現代新書、関岡英之著)
いま、危機にさらされる日本人の心とからだ
小馬鹿にされる礼節とおもいやり
世界に類を見ない我が国固有の価値観
ズーとフィリピンの話題が続いて頭の中までフィリピン化してしまうとアレなんで、帰国したら頭のスイッチを切り替え、別のことを思考するように心がけている。別に隠していたワケではないけど、実は「太った中年」は愛国というより憂国の士であった。本書の帯にある我が国固有の「礼節とおもいやり」がフィリピンでは「小馬鹿にされ」て幾度となく悔し涙を流したことか。前エントリー、トラブルがあったマニラ空港新ターミナルだって「奪われる日本」のODA予算で作られているんだぞ、クッソー。と、まあ本書には余り関係ないことで怒っても仕方ない。数ある対米追従関連の本の中でも本書が圧倒的に感動するのは著者によるあとがきのラストにある。書店でそれを見てすぐに買ってしまったほどだ。
昭和二十五年に、日本評論社から「改正株式會社法解説」という本が出版されている。当時、GHQの指令で行われた商法改正の解説書だ。そのなかに次のような記述がある。
《アメリカ法の制度も必ずしもそのすべてがわれに勝るとは限らず、また、勝ると認められる場合にもそのままの形で継受することが當然に妥當ともなしがたい。》
この本の著者は、日本が主権を奪われていた占領下において、法制審議会商法部会委員として、商法改正に協力させられた二名の東大法学部教授だ。そのうちのひとり石井照久は、私の母方の祖父である。
祖父の屈辱は私の屈辱だ。祖父の苦悩もまた、私の苦悩である。
本書を、亡き祖父に捧げたい。
(以上、あとがきより抜粋)
もうラストは激情に駆られ、ロックンロールしていて最高だ。特にこのフレーズは使える。
・フィリピン人妻の屈辱は私の屈辱だ。フィリピン人妻の苦悩もまた、私の苦悩である。
・ピン中親父の屈辱は私の屈辱だ。ピン中親父の苦悩もまた、私の苦悩である。
どうだ、イケてるだろう。「なーんだ、やっぱりオマエはただピン中オヤジじゃないか」、そんなことを言ってはイケナイ。日本男児たるものまだまだ憂国のエントリーが続くぞ。