松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

オートバイひとり旅・シベリア横断~モスクワ~中央アジアの旅 59 イラン   

2013年09月06日 | 赤道直下と陸路国境148か所
首都テヘランに着いた

イランの首都テヘラン・・ゲストハウスに着いた。ホテルの前「部品販売店」のオーナーが夜は店の中に入れて
よいと言ってくれる。ありがたい。(写真はお金降ろしにアゼルバイジャン~グルジア~トルコと一回りして再び
テヘランに戻ってきたときのもの)

2003年10月3日金曜 20℃はれ くもり くもり
ホテルを8時に出発、カーブの多い山道になった。首都テヘランまで200キロ。10時ごろテヘラン市内に着いた。車もオートバイも多いな。市内に入る手前からオフロードの兄ちゃんが走ってきた。実はホテルの名前と地図はウズベキスタンで一人旅の角寺さんが書いてくれていたものだ・・オートバイを右端に止めて、そのホテルの「アドレスと地図」を見せる「OK」といっしょに走ってくれる。

30分ぐらい走ってテヘランの中央ホメニイ広場に着いた。ありがとう助かりました。オートバイが走っている国ではこれまでたびたび案内してもらっているが今回もすんなりとセントラルにつくことが出来てありがたかった。地図をたよりにこれからホテルを探す。ホテルへの大きな道はなんと一通になっていて入れない。ここは度胸だ、どっと車がバイクが走っている大通りを一台一台右手を上げて止めて強引に突っ込み横切る。

信号が変わるとマイカーの人もバイクの人もわれ先にと走る。その数はどこの首都より川の流れにようにひっきりなしに流れている。それを停めるのだ、しかしイランの人たちも意外と親切だったすぐに停まってくれた。これで近道になったようだ。狭い路地に入って地図のホテルにようやくたどり着く。ほっとする。11時になっている。きょうは金曜日で商店街は閉まっている。ホテルの宿泊手続きを終えた。

一人部屋は2階になる。オートバイは路地裏に止めた。日本人のヤギさんについていき午後ネット屋に行く。途中トイレに行きたくなりホテルに入った。このホテルはヤギさんがきのう会った日本人留学生Sさんが泊まっているホテルだと話す。わたしたちが泊まっているホテルより数段上のホテルだ。ヤギさんはついでにと部屋に行って留学生Sさんを連れて来た。

Sさんはめずらしい「イラン建築」を研究しているとか話す。「へー」いろんな人もいるもんだなーと感心する。ネットは日本語が打てるのでうれしい。2時間ネットをやって3人で食事にいく。宿に戻ったのは8時頃。ロビーには日本人女性と男の人がいた。4人で12時過ぎまでしゃべる。この時までテヘランでお金は下ろせるものだと思っていた。話を聞くとテヘランでもダメなことがわかった。

10月4日土曜 くもり 午後カミナリ雨
朝10時までベッドそのあとゆっくり起きてウォカー水割りして昼飯兼用。ホテルにある情報ノートを読む。くわしく書く人がいるひとり旅の女性「ぐれねこ」さんのマップと情報はすごいにつきる。気が気でないお金の工面をどうするか最初トルコに入ることを考えていた。トルコ国境の近くではATM使えないところもあるようだし・・・アルメニアのシティバンクはカード使って「下ろせた」と情報ノートにある・・しかしビザがない。

いろいろ考える・・あと80$9600円ではアルメニアビザ代で消えてしまう。ビザ発給まで7日間待っているその間のホテル代も食事代も・・・いる。アルコールもない。イランにはいたくないし、よしアゼルバイジャンまで行こう。ダメだったらアルメニアへ(実はアゼルバイジャンとアルメニアは仲が悪くて国交がないことをこの時知らなかった)

日本女性クニモトさんが帰ってきた「マツオさんお金どうしました」うーんトルコでもむずかしいようだし・・ここのホテルでお金を借りて・・するとクニモトさんは「200$ぐらい」だったら「貸して」もいいと言ってくれる・・。ほんとですか。その代わり「日本からわたしの口座に振り込んでほしい」と。さっそく200$(24000円)お借りして電話局にすぐに行って日本の自宅に電話を入れた。家族は変わりないようだ。実はお金を振り込んでほしいとカアサンに「クニモト」さんの口座番号を伝えた。

振り込み先をすぐに伝えることが出来てよかった。このころカミナリが鳴って大粒の雨が降ってきた。しばらく店先の軒下に雨宿り。ホテルに戻りクニモトさんにお礼と日本から振り込むことを頼んだことを報告した。それにしてもお金の工面が出来て気持ちの落ち着きが出来た。あーこれで不安は少しなくなった。あした隣の国アゼルバイジャンまでお金下ろしに走ろう。