松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

オートバイひとり旅・シベリア横断~モスクワ~中央アジアの旅 60 イランからアゼルバイジャン

2013年09月22日 | 赤道直下と陸路国境148か所

イラン・テヘランを出発・・途中の山には「イラン」のマークか・・・。

お金下ろしにとなりの国アゼルバイジャンまで走る

2003年10月5日日曜 18℃ 寒いぐらい涼しい 20℃ 走っていると肌寒い20℃
ホテル前、部品店に入れさせてもらっていたオートバイを出してアゼルバイジャン・首都バクーに向かう。約500kmぐらいとか地図はなし。クニモトさんから借りた「地球の歩き方」からノートに書き写す。さらに行き先の途中の町何カ所か「名前」は大きく「英語」で書いた。走っていく途中地元の人に見せながら走るが・・ためだ・・わからない。

しかしよく考えてみると「イラン」の人は英語はわからないわけだ。何人かの人に見せたがチンプンカンプン?いつもとは違うようだ。テヘラン市内を出るのに苦労したがそれでもアゼルバイジャンの首都「バクーバクー」繰り返して走る。右手に灰色の岩山を見ながらどうにか国境・アスタラに着いた。16時。最後は地元の人が国境事務所をくわしく教えてくれたので助かった。しかし係官が不在。

一人いたおじさんはすぐに戻ってくると言ったが30分待っても戻ってこない。催促して17時ようやく戻ってきた。「ハリーハリ―」イラン側出国手続き終わり17時30分。
アゼルバイジャン側に入る。手続きを終えたと思ったら右に入った広場の小屋みたいな所に誘導された。「どうした」音沙汰ない。だいぶ待たされたあげく「パスポートNO」と言いだし始める。若い係官は英語が出来る人だった。

「上官」「マネーマネー」「OK」と「言ってる」と若い係官が話す。そうか「ワイロ」要求なのか「フザケルナ」。若い係官に「ノーマネー」で通すと話す。バクーに行かないと「ノーマネー」。若い係官「それでいい」「それでOKOK」シーと口に人差し指を充てる。もう暗くなってしまった。上官のいる事務所に入れられた。「なんでダメなのか」「パスポート」「9月25日~10月25日」になっている。

「どこがダメなのか」日本語でどなり声を上げる。「おさえて、おさえて」若い係官のしぐさ。結局そのままワイロ渡さずに済み手続きを終えることが出来た。ここら辺もまだまだワイロの悪習が残っているんだなー。真っ暗のなかアゼルバイジャンに入国。しかしまったくわからない。家の明かりをたよりにそろそろ走る。道がデコボコだ。さっき見えていたのは明かりは商店だった。ホテルは若い係官に聴いていた。

1キロも走らないうちに「焼き肉屋」がありそこの家主に「ホテル・ホテル」と聞いたら「そこだ、そこだ」と指さす。トラックもノロノロ走っていてほこりが舞い上がりなお見えない。そこの「ホテル」までの道がどうなっているのか判断も出来ない暗さ。とうとう店の人に車を出してもらい「あとに着いて来い」しかし焼き肉(シャクリク)を食べにくるんだぞみたいなことを言ってるようだ。

車のうしろに着いて行く。500mもしないうちにホテルに着いた。すみませんでした。カスピ海のほとりに建っているホテルだった。半月に光で波がかすかに光っていた。いいところに宿があってよかった。2$=240円+食事代・・久しぶりにビールもある。しかし2本分しかお金がない。ウォッカーをサービスしてくれとせがんで一杯半ごちそうになる。
ホテルには飲みに来る人もいて夜遅くまで月の明かりの下で飲んで騒いでいた人もいた。海岸砂場にはテントみたいなものも立っていた。飛び込みでなんとも素晴らしい環境のホテルに泊まることが出来た。いい思い出の宿になった。(時差イラン18時30分アゼルバイジャン19時55分だった)