松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

人間国宝とふるさと鹿島の風景

2008年11月08日 | お知らせです
人間国宝ろうけつ染め鈴田美術館は自宅の前に建てられている。
左はお父さん鈴田照次作品右は人間国宝滋人さんの作品
ひだりの女性は滋人さんのおかあさん右の女性は当時ここで働いていたひと。


のごみ人形工房。(鹿島市)



久しぶりに帰ったので働きながら高校にかよっていた鹿島に行った。鹿島書房で働いていた。
本屋の裏では人形箱も作っていたので鈴田のごみ人形屋さんに箱を配達した。当時の職人
さんに会いに行った。みなさん覚えていてくれていたのでうれしかった。

初代鈴木照次さんはろうけつ染めで有名な方だった。いまは亡くなられていたがおくさんは
元気だった。その次男鈴田滋人さんは54歳で人間国宝になられていた。

のごみ人形

のごみ人形工房の人たち。(うしろは人間国宝鈴田宅)


佐賀ふるさと嬉野、吉田の風景

2008年11月08日 | お知らせです
むかし育ったふるさと嬉野吉田の風景

実家のこんにゃく、ところてん工場


実家への道

隣の安徳寺

うしろは小学校と中学校

むかし講堂にかけられていたワニのはく製をみてこわかったことを思い出す



吉田は昔から陶器の村でもありました。今は肥前吉田焼きとして若い人たちが
いきいき陶器を作り続けています。また地元で取れた野菜など好評
はびっくりするほどの売り上げは周りの街から注目されています。
その物産展「まんぞく館」のとなりに特大の茶びすをかかげているのです。

ふるさと吉田の「小浮立」おどり

2008年11月07日 | お知らせです
ふるさと嬉野吉田のおくんち 「両岩の小浮立」



ふるさと吉田では別におくんちの踊りを神社で披露します。

8年に一回まわってくるのです。今年はわたしたちの両岩(もろいわ)
の当番でした。小浮立と呼ばれる子供たちだけの踊りは7月から四ヶ
月土曜、日曜の夜は稽古を続けます。大人の鐘たたき、笛ふきなど
子供といっしょに続きます。11月3日神社で踊りを披露するのです。

55年前わたしたちの頃は子供が多くて一家で一人だけと決められて
目立ちがりのわたしは出れなくてくやしい思いをしたものでした。
今は大人の面浮立は人が足りなくてやっていません。さびしい気が
します。


いざ、本番。お父さんは笛吹きで参加する。実家で

四ヶ月の練習風景

ふるさと嬉野吉田に帰りました

2008年11月07日 | お知らせです
2008年10月18日さいたま家を出て静岡でキャンプ
   19日京都 J-hoppers泊まり2500円
   20日広島   〃
   21日〃    〃
   22日遠賀川高校同級生宅泊まり
   23日嬉野吉田 実家に着く

嬉野市役所へ訪問


谷口市長さんも歓迎してくれた。



久しぶりの帰省でした。アフリカから帰国してはじめての
帰省、嬉野市での谷口市長さんをはじめ職員の方の出迎え
を受けました。

地元のTVや新聞社5社の取材を受けました。ありがたかったです。

中学の同級生との呑み会、高校同窓生との呑み会など設定して頂
毎晩夜中まで呑み会が続きました。実家や兄さん宅などでもご馳走
になりっぱなしです。

今回はゆっくり出来たのであっちこっちと昔の人たちを訪ねてきま
した。なかでもお世話になった鹿島実業高校定時高校生の頃(昭和
34年~38年)鹿島書房で働いていてそのころ郵便切手にもなっ
て有名になった能古見(のごみ)人形工房にも人形「箱」を届けて
いたので久しぶりに会いに行きました。

工房で働くみなさんはわたしのことを覚えてくれていて喜んでくれ
ました。のごみ人形のほかに、ここの初代鈴田照次さんは奥さんと
ろうけつ染めをやっておられました。

人間国宝になられたのは次男滋人さん54歳と若いのです。工房をや
められた人もわざわざ来ていただいたのでお母さんと記念写真を撮
らせていただきました。


高速道路から降りて嬉野市に町に出る