円ジョイ師匠とセタッシーの時事ネタ

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七夕に竹田の子守唄(ジキジキ歌声喫茶版)

2010-07-07 02:50:29 | 歌声喫茶会
七夕に送る悲恋のはなしである。

夏彦とオリエは恋に落ちた。

夏彦は働き者の真面目な青年でした。

優しいオリエにプロポーズしました。

しかしオリエの親族は、夏彦の生まれが昔から差別されている川向こうの村の出身だと知り反対しました。

オリエが川向こうの夏彦に会いにいけないように橋を焼き払いました。

でも1年に一度、二人を隔てる天川は水が枯れ飛び石で渡れます。

毎年それを楽しみしてる天川も雨が降ると川は増水して会えないのです。

そんな関西の竹田地方の小森地区で古くから歌われた歌を今日はジキジキさんに歌ってもらいました。



竹田の子守唄(ジキジキ歌声喫茶版)



この曲は京都、大阪の複数の被差別に伝わる守り子歌(子守の仕事をしている子供の労働歌)である。 この民謡・歌曲が注目されたきっかけは1969年にフォークグループの「赤い鳥」が演奏したことである。しかし、そもそもは住井すゑの『橋のない川』が舞台化される際、音楽担当であった尾上和彦が被差別の一つである京都の竹田地区で採集した民謡を編曲して使ったもので、それが竹田地区の解放同盟の合唱団のレパートリーとなり、フォーク歌手たちにも広まったと考えられている。尾上和彦が採集したのがたまたま竹田地区であったので、「竹田の子守唄」とされた。それ以前は題名がついてなかった。

後に「赤い鳥」がこの楽曲を1971年にシングル・カットして3年間でミリオンセラーとするが、被差別絡みの楽曲であった為に日本の放送局はこの楽曲を放送したがらなくなり、いわゆる「放送禁止歌」(封印作品)として長い間封印されることになった。1990年代に封印は緩和され、赤い鳥の解散後に結成された紙ふうせんを始め、多くの歌手によってカヴァーされている。ちなみにB面曲はなんと前回の歌声で歌ったW杯応援歌『翼をください』である。 (ウキペディアより一部転載)

円ジョイの行ったデザイン学校の担任の旦那さん東陽一監督が撮った映画「橋のない川」にも当初、この唄が使われる予定だったが、監督は音楽にボリビアのチャランゴ奏者エルネスト・カブールを起用したのが被差別ドラマを暗くならないでよかったですネ

上記の七夕の話は
そんな監督の映画に触発されて、円ジョイが子供向けに七夕伝説に絡めて被差別問題を扱った創作戯曲の一部ですが、本編は、もっと七夕伝説に近く、織姫と彦星のように一度は結婚するが、幸せにかまけて彦星が牛を追わなくなり、天帝は怒り、二人を天の川を隔てて引き離したが、年に1度、7月7日だけ天帝は会うことをゆるし、天の川にどこからかやってきたカササギが橋を架けてくれ会うことができた。しかし7月7日に雨が降ると天の川の水かさが増し、織姫は渡ることができず彦星も彼女に会うことができない。と同じ展開で夏彦も働かなくなりオリエの実家の財産をあてにするようになり夏彦のもオリエに依存するようになり、結果、差別を助長するかのようなストーリー展開に、クレームが来て、まだ日の目は見ない物語です。(差別意識はないのだが…)

こういった物語を作ることの難しさを実感したエピソードでした。

しかし、もうすぐ始まるW杯準決勝までの時間つぶしをかねて、差別問題を書いたが、南アフリカ大会も反差別の大会のわりには、メッセージが少ないし、黒人からブブゼラを貰った場合、感染症があるから吹かないでとの差別的の話題もあってビックリだね。