「世田ヶ谷玉電110年物語」
明治40年には、玉電(玉川電気鉄道)が渋谷〜玉川に開通、三軒茶屋に電車が走り出しました。
関東大震災後、都心で家を失った人達が、玉電が通る交通便利な三軒茶屋に多く流入し、人口が急増し商店街も急速に発展してきました。
しかし…
太平洋戦争の東京大空襲で、 三軒茶屋一帯は空襲で焼け野原にされてしまった。
だから戦前の古い建築物は殆ど存在しない。
近隣には駒沢練兵場などの軍事施設のあったからね。
玉電も米軍から攻撃を受け「進め!1億火の玉電」になってしまいました。
そして終戦後、焼け跡になった商店街にバラック建ての商店が並びはじめ、世田谷市民の復興がはじまり再び玉電ペコちゃんは走ります。
ガンバレ!世田谷区!
ガンバレ!玉電!
もう二度と戦争なんかしてはいけません!
都知事は玉電より戦車が好きみたいですが、平和革新区長のいる世田谷区には戦車は似合いません。