秋田空港への便がとれた母子を、カミさんと送って複雑な気持ちであった。
恐ろしいけれど、覚悟し親子で生きるべく、放射性ヨウ素の8日と比べて、半減期30年のセシウム汚染が悲しい現実になってきた地に戻って行った。
国内線と国際線の結合工事でごった返す千歳空港のバラック風の屋台長屋を眺めている時にかかってきたDさんに、いろいろと忘れるためにも始竿会への参加はどうですかと返していた。
少しラウンジで休憩して、東京に行っている娘を待った。こころから笑える日がいつ来るのであろうか。40年も経った古い原発に2月ゴーサインを出したお役所のスタッフが今日も記者会見をしていた。