私は、幼少の頃よりエンギを担いだり、迷信やジンクスを気にするタチでした。両親とも保守的な富山や金沢で育ったせいで、「お盆には地獄の釜の蓋が開くから泳いではダメだよ、釣りはもってのほかだよ」と言われてました。
それでも、中学時代は悪友たちが泳ぎに誘いに来ると、こっそりと薪と海水パンツを持ち出して、隣の漁師まちまでウニや貝類を獲りに向かいました。監視員に怒られると、別の漁師のに遠征しました。
留萌の防波堤に小サバが釣れ出すと夏で、中サバになると秋口でした。中学高学年から高校、大学の教養時代の夏休みは、留萌の瀬越浜や黄金岬で朝から晩まで泳いでいました。陽光にあたると皮膚が弱いのですぐ真っ赤に腫れあがり、ひと夏で2-3回背中の表皮が日焼けした後に皮が剥がれました。
若いころの日焼けによる皮膚の炎症による後遺症は著しく今でも沢山のホクロやシミになって残っています。夏が来ると家にいないで海岸にいましたが、お盆の間は、泳ぎも釣りも自粛してました。それが身体に刷り込まれて、今でもお盆になると釣りに行く気がしないのでしょう。
それでも、中学時代は悪友たちが泳ぎに誘いに来ると、こっそりと薪と海水パンツを持ち出して、隣の漁師まちまでウニや貝類を獲りに向かいました。監視員に怒られると、別の漁師のに遠征しました。
留萌の防波堤に小サバが釣れ出すと夏で、中サバになると秋口でした。中学高学年から高校、大学の教養時代の夏休みは、留萌の瀬越浜や黄金岬で朝から晩まで泳いでいました。陽光にあたると皮膚が弱いのですぐ真っ赤に腫れあがり、ひと夏で2-3回背中の表皮が日焼けした後に皮が剥がれました。
若いころの日焼けによる皮膚の炎症による後遺症は著しく今でも沢山のホクロやシミになって残っています。夏が来ると家にいないで海岸にいましたが、お盆の間は、泳ぎも釣りも自粛してました。それが身体に刷り込まれて、今でもお盆になると釣りに行く気がしないのでしょう。