ボナさんの北海道の釣り三昧II(休養中)

投げ釣り主体に北海道の沿岸に出かけます。夏にはフナや鯉釣りも。

終戦

2011-08-15 12:19:21 | 釣り
終戦になってもすぐに父は帰って来なかった。体格の良かった父は甲種合格で昭和12年頃より二度の事変や太平洋戦争に召集されていた。私のすぐ上の兄が、1歳にもならずに亡くなって気落ちして母は叔母を頼って留萌に移住する決意を固めたのだろう。

物心ついてから何度、父の出征を見送る為に当時の札沼線の石狩沼田駅にでかけただろう。その都度、これが見納めだからね、と母から諭されていた。父の召集されている間、娘を気遣ってか、時々富山から母方の祖父がやってきた。

母を助けるわけでもなく、終戦のラジオ放送の時にも万座の泣き声を避けるように、プイっと釣り竿を担いで岸壁に向かった、「これからは釣りもできるだろう」と一言を残して。お盆だったが、意に介さない感じで、1本の竹竿にテグスを巻いただけでエサも持たずに出かけた。私は、後を追わなかった。

祖父は、短気で、若いころよくけんかをし、新湊の浜でなぐられ目がつぶされて片目が見えなかった。長男だったが、親戚一同の一致した意見で、家業は次弟が継いだ。残りの兄弟姉妹は江別、新篠津、当別、妹背牛に移住した。当別にリタイヤする前20年通勤したので、札沼線と私は、奇妙に縁が深かった。