朝の地震と津波警報にはびっくりしました。それが、東北大震災の余震というので、被災地の方たちはさぞ驚かれたこととご同情申し上げます。いま、受験の為に同居しているうちの孫たちも原発の爆発の際には、山形から一時避難してきました。私は、釣りをしている時に、体感地震を数度経験しました。写真下は、今年の笛舞港右浜
日高笛舞では、20年ほど前のことでよく覚えておりませんが、友人と車で出かけた時。防波堤で釣りをしていた時でした。強い地震を体感し、慌てていましたが、何も持たずに、兎に角逃げようと、二人で国道を越えて高台まで走りました。カーラジオで津波の心配はなくなりました。というのを聞いて、釣り具を回収し、釣りどころではないと、札幌に向かいました。
東井寒台と浦河の間のテトラとテトラの間で釣っていた時には、地震は弱かったのですが、津波注意報がでて、釣り具を回収して車に戻りました。10年以上経っていると思いますが、留萌海岸の大トドと鬼鹿の間の堰堤(上の写真は記事内容と無関係の時期に撮影したものです)で留萌の釣り天狗さんや三平さんとキャンプをして徹夜で釣っていた時に、カーラジオでチリからハワイに向かう津波が発生したというので、日本海沿岸ですが、津波のことだから、宗谷海峡か津軽海峡を回ってこちらにもくるかもしれないと、夜中にテントや釣り具を撤収し、大トドだったかの山奥の高台に避難しました。今では、大袈裟!!、と笑われるでしょう。
次いで室蘭。遠投はできませんが、黒ガシラの大物狙いに何度も挑戦しました。その時代に知り合ったのが投げ釣り王の仲間です。まだ雪の残っていた東輪西のある岸壁でバッテリーが上がり助けて呉れた方から、こんな車で室蘭まで来るなよ、と指導されてから今までに車を3度換えて10回以上攻めていますので10年以上前だったと思います。残念ながらまだクロの大物釣っていません。地震を体感、津波注意報が解除されて竿を上げたところ、道糸にヘドロが満艦色の旗のようにびっしり着いていました。タオルで道糸を巻いてゆっくり巻き上げては、塩イソメを付けて投げていました。あほですね。またヘドロがついて、地震の後遺症は続いていたのでしょう。良い子は真似をしないでさっさと家にかえりましょう。室蘭では、二度地震に遭遇。同じヘドロのついた道糸をあげています。結論、地震がきたら、何も持たずにさっさと逃げる。
日高笛舞では、20年ほど前のことでよく覚えておりませんが、友人と車で出かけた時。防波堤で釣りをしていた時でした。強い地震を体感し、慌てていましたが、何も持たずに、兎に角逃げようと、二人で国道を越えて高台まで走りました。カーラジオで津波の心配はなくなりました。というのを聞いて、釣り具を回収し、釣りどころではないと、札幌に向かいました。
東井寒台と浦河の間のテトラとテトラの間で釣っていた時には、地震は弱かったのですが、津波注意報がでて、釣り具を回収して車に戻りました。10年以上経っていると思いますが、留萌海岸の大トドと鬼鹿の間の堰堤(上の写真は記事内容と無関係の時期に撮影したものです)で留萌の釣り天狗さんや三平さんとキャンプをして徹夜で釣っていた時に、カーラジオでチリからハワイに向かう津波が発生したというので、日本海沿岸ですが、津波のことだから、宗谷海峡か津軽海峡を回ってこちらにもくるかもしれないと、夜中にテントや釣り具を撤収し、大トドだったかの山奥の高台に避難しました。今では、大袈裟!!、と笑われるでしょう。
次いで室蘭。遠投はできませんが、黒ガシラの大物狙いに何度も挑戦しました。その時代に知り合ったのが投げ釣り王の仲間です。まだ雪の残っていた東輪西のある岸壁でバッテリーが上がり助けて呉れた方から、こんな車で室蘭まで来るなよ、と指導されてから今までに車を3度換えて10回以上攻めていますので10年以上前だったと思います。残念ながらまだクロの大物釣っていません。地震を体感、津波注意報が解除されて竿を上げたところ、道糸にヘドロが満艦色の旗のようにびっしり着いていました。タオルで道糸を巻いてゆっくり巻き上げては、塩イソメを付けて投げていました。あほですね。またヘドロがついて、地震の後遺症は続いていたのでしょう。良い子は真似をしないでさっさと家にかえりましょう。室蘭では、二度地震に遭遇。同じヘドロのついた道糸をあげています。結論、地震がきたら、何も持たずにさっさと逃げる。