「まだ2年」です、ときっぱり話された方のお気持ちは、さぞ無念でしょう。
震災で肉親を亡くされた方にとっては、もう2年ではなく、まだ2年という言葉が身に応えました。当日、法事の為に、息子は2時半の仙台発千歳行きの飛行機に乗っていました。孫も羽田から2時発の千歳行きの便に乗っていました。
その時、テレビから仙台空港に津波が押し寄せる画像が入ってきました。息子と連絡をとろうにも携帯が繋がらず、乱気になっていました。嫁さんと電話で話ができて息子の乗った飛行機は津波の押し寄せる直前に飛び立ったようだ、というので胸をなでおろし、到着を待つことができました。原発事故後、孫2人を連れて嫁さんが避難してきました。
その後、私は手術や再入院があって、リハビリの後に釣りが出来るようになってまだ1年半にも満たない。「もう」よりも「まだ」の気持ちが当事者の心情だと思います。風化させないように周りのものは気遣いすべきでしょう。
医釣会の釣童さんは、ボランテイアで震災地を訪れ、子供さん達の心のケアに奮闘する医師や医療関係者に小児心療医療の専門家として相談相手となり滞在し、昨年2度目の訪問も果たしました。のびのびさんも、別行動で震災地を2度訪問しボランテイア活動を続けています。私は、体力を落としていましたので足手まといになろうかと行かずじまいでした。地震発生の時刻が迫っています。お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。合掌。
震災で肉親を亡くされた方にとっては、もう2年ではなく、まだ2年という言葉が身に応えました。当日、法事の為に、息子は2時半の仙台発千歳行きの飛行機に乗っていました。孫も羽田から2時発の千歳行きの便に乗っていました。
その時、テレビから仙台空港に津波が押し寄せる画像が入ってきました。息子と連絡をとろうにも携帯が繋がらず、乱気になっていました。嫁さんと電話で話ができて息子の乗った飛行機は津波の押し寄せる直前に飛び立ったようだ、というので胸をなでおろし、到着を待つことができました。原発事故後、孫2人を連れて嫁さんが避難してきました。
その後、私は手術や再入院があって、リハビリの後に釣りが出来るようになってまだ1年半にも満たない。「もう」よりも「まだ」の気持ちが当事者の心情だと思います。風化させないように周りのものは気遣いすべきでしょう。
医釣会の釣童さんは、ボランテイアで震災地を訪れ、子供さん達の心のケアに奮闘する医師や医療関係者に小児心療医療の専門家として相談相手となり滞在し、昨年2度目の訪問も果たしました。のびのびさんも、別行動で震災地を2度訪問しボランテイア活動を続けています。私は、体力を落としていましたので足手まといになろうかと行かずじまいでした。地震発生の時刻が迫っています。お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。合掌。