今日もはれたり♪くもったりⅡ 

熟年再婚14年目にして、人生変えたはずが。
恥ずかしながら、出戻りました。

夏も終わりに・・・・・

2013-08-31 21:35:39 | 日々の事

   夕方の風が違う・・・・

   夏が終わりに近づき・・・

   夏休みを一緒に過ごし、家に帰りたいなんて言わず、

   一ヶ月以上の共同生活で

   私にぴったりついていた、ちび孫が帰っていきました。


          

           寂しい

    そんな私も、マレーシアからのお誘いを受けました、


    


             


     2年前の秋にマレーシアの知人に誘われて

     「世界の平和を祈る」歩け歩け・・・・に参加しました。

     2年に一回で、今年あるようです。

     8キロを平均二時間で歩くと言うこのイベント、

     前回楽しく歩けた事で、

     今年参加する事になりました。

     そろそろ定年を考えている主人は、

     いい機会だから、ゆっくり滞在して、

     定年小旅行でもするか!

     マレーシアを中心に計画を立てています、

     パソコンを持ち込みますが、スタバからの更新、
 
     どこまで出来ますか?・・・・・・・

     ペナン島にロングステイしていらっしゃる

     Tご夫妻とオフ会します。

     今から楽しみです。

それでは、行ってきます。

 

     


   

   

ハマのメリーさん

2013-08-05 22:15:23 | 日々の事


   戦後の横浜を生きた「ハマのメリーさん」を知る人が

   少なくなった、

   そんな中、横浜出身の女優 

   五大路子さん(大和田伸也夫人)が、

   毎年終戦記念日に一人芝居で彼女の一生を表現する。

             

   終戦後、

   外人相手の娼婦だったと言う彼女の本名や生い立ちを

   知る人は少ない、

   私が初めて伊勢佐木町通りで見かけたのは、

     確か私が30代の頃、

   全身白いフリルのついたロングドレス、もちろん靴も白い、

   歌舞伎役者のような白塗りの顔、

   太く黒く引いたアイラインにマスカラ、

   真っ赤な口紅、 髪の毛も白く塗り、

   逆算すると、

      その頃のメリーさんは60代になっていたはず、


             

   周りの目を気にせず、堂々と歩く姿に

   友人と唖然とした記憶がある。

   彼女を見かけた話になると、

   皆、口にするのは、

   向こうから

   メリーさんが来るとわかっているときは

   心の準備が出来ている、、

   突然ドアーは開けた先にいたり、

   曲がり角を曲がったとたんに現れると、

   かなり驚き、衝撃的・・・と。

   私も天理ビルのステーキ屋さんのトイレで、

   扉を開けた瞬間、遭遇、

   「がぁー」と声をあげ、失礼があった。

   晩年は腰が曲がり、白いドレスから、

   ひざ下の色物ドレスにかわり、

   知人の店があるビルのエレベータの前に座り、

   エレベーターのボタンを押して、

   チップで生活していたが

   その後彼女の姿が見えなくなった。


   彼女の一生のドキメントが映画化されものを見た、

   映画の最後の場面、

        故郷の老人ホームで

        白塗りではなく、白いドレスでもない、

    普通のおばあちゃんとして、

    みんなと雑談する姿を見て、

               ホッとした。
   

    2005年の1月にホームで亡くなった、

    享年84歳、

    横浜での放浪生活からふるさとに戻り、

    そんな晩年を送った事で彼女を知る人は

    きっとホッとしたはず。

    終戦記念日が近くなると「ハマのメリー」と呼ばれた

    彼女を思い出す。


                     bonji