4年前の6月16日4歳下の弟が亡くなった。
体調が悪いのはわかっていたものの、
病院行きを進めていたが、仕事が忙しい、大丈夫だよ!
そんな言葉に、子供じゃないのだから、
引っ張って連れて行くわけにも行かず、
今にして思うと、
無理に連れて行かなかった事を後悔している、
でも、その時期でも手遅れは確かのようだった。
40歳半ば大腸がんで手術を受けた弟は、
大人のこぶし大に大きくなったがんの根を2個取り出した、
余命、6ヶ月から1年と診断を受けた、
ところが、奇跡なのか手術だけで抗がん剤も受けず、
13年間再発もせず元気に回復していた、
そんな弟が体調を崩してきた、
食欲がなく、顔色も悪く、仕事も出来なくなった、
我慢できなくなった弟は
病院に行く覚悟が出来たらしく、電話をしてきた、
がんの再発は覚悟で診察を受け、即入院となった、
不思議に体の何処にもがんの兆候はなく、
「腸閉塞」と診断、11時間の大手術を受けたのだった、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/e2/24d53c9deea04cdeb6a9d0bcd4c10519.jpg)
小腸がすべて癒着していて、全摘出するしかなかった、
長くて余命6ヶ月の診断に
私たちは2度目の奇跡を祈り、
ドクターはそんな状態でも、最良の手を尽くし、
そこまで命を区切られてしまっていると知らない本人は
完治すると信じて辛い治療に耐えた。
そんな治療以外に亡くなる4ヶ月間、
食事はおろか、一滴の水も許可が下りなかった
唯一許されたのは、飴玉と氷のかけらのみで、
すべて点滴からの水分補給なのだった。
亡くなる3日前コーンスープやオレンジジュース、
そして麦茶などの食事?が出された、
もちろん固形物はない、スプーンで口に運ぶが
1~2口がやっとだった。
あと4.5日と言われていたので、交代で泊り込んだ、
私が泊り込んだが、狭い簡易ベットに弟のうわ言
機械の音、人工呼吸器、眠れなかった。
交代して、夕方家に戻りシャワーを浴びたが、眠れず、
静かに寝ていると連絡を受けたが
弟の様子を見に行くことにした、
夜遅くかなり強い雨が降っていたので、
それを聞いた姉からメールが入った、
「こんな雨の中、やめて、寝ていないし、事故でも起こして、
二人失ったら、私が一人になるのよ!」
強い口調のメールを無視して出かけていった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/54/4c286b9509f6f83519b8f43dda19ff28.jpg)
病室に入ると昨夜のうわ言がうそのように、
静かに眠っていた、
「一時間だけいたら帰るからね」耳元で話してみるが
何の反応もない、
肝臓の機能は低下して、顔は黒い、
食べていないから痩せたからだ、
腎臓も働かないから下半身のむくみは酷い、
時々ナースステーションから機械の警戒音がなる、
「あと30分したら帰るね、また明日くるから!」
30分経って帰り支度をしていると、
激しい警戒音とともに看護師さんが駆けつけ、
弟の名を呼んだ、ドクターもかけつけた。
スーと息が止まり、浮腫んで腫れ上がった弟の手を握ると、
3回喉が動き、フーと肺の中の息が抜けた、
「もういい、もういい、治療はしなくていいよいいから」
静かに眠らせてあげたい、何も食べられないなんて
辛い、あまりにも残酷すぎる、
弟の手がだんだん白く冷たくなっていく、
来ないはずの私を
「看取ってよ」と呼んでくれたのね、
今でもそう思う、ありがとう、
あの雨の夜、車のライトに浮かぶ紫陽花が今年も咲いている。