今日3月11日はあの大きな震災から7年目、
私は弟を亡くしてこの6月でやはり7年を迎えます、
この震災の日は、弟の命日のような気がします。
腸閉塞で小腸を全摘出手術したのがあの年の2月10日、
術後、「半年はもたないと思います」告知され、
その日から一切の固形物はおろか
一滴の水を飲む事さえ許されない日々が続きました、
命を区切られた事を知らない彼が
辛い治療に耐えて回復すると信じていたのもあの頃でした、
術後一ヶ月、病院であの大きな地震を経験したのです、
翌日心配をして病室に向かうと、
元気な彼は私や周りを心配して、
看護師さんたちがあの大きな揺れに大騒ぎ、
「大丈夫だよ、この病院は新しいから崩れたりしないよ」
そう言って落ち着かせたと、偉そうに話していました。
もしかしたら、回復するかもしれない、
奇跡が起こるかもしれない、いい薬に出会うかもしれない、
そう錯覚するほど一番元気な頃でした、
そこから一片の氷をなめる事が許され、
もちろん食べる事は許されず、
飴をなめる事が許された頃は少しずつ弱り始めてきました。、
私はこの震災の日の弟の顔を毎年思い出す日です。
亡くなる3日程前から先生の計らいで、
少し味の付いたコンソメスープや麦茶を口にし、
そして静かに亡くなって行きました。
震災のこの日が弟の命日のような気がして、
震災で亡くなった方と弟に手をあわせる日になりました。
6月16日また7年目の弟の命日がまた来ます。
夢にも出てこない非情な弟・・・
逢いたいなぁ!。

bonji