死に物狂いで働いて、ようやく手にした第二の人生。誰もが豊かな老後を送りたい。ところが、現役世代にがんばった人ほど、過去の栄光にしがみつき、会社の肩書や人間関係をそのまま引きずってしまう。いつまでも他人と比べて一喜一憂し、思いどおりにいかないとキレる・・・・・・。前袖より。
そんな、みっともない老い方をしていませんか?
リタイアすれば「ただの人」。60歳になったら「昔はよかった」はやめて、「素」の自分で現在を愉しもう。人生80年。「死ぬときは死ぬがよろしく候」の境地で最期を迎えるために大切にしたいこと。
・・・・・・僕自身は違うからね!?
『死ぬときは』~は、例のドヤァ坊主の言葉だけど、さて・・・・・・。
第1章 こんな年寄りは嫌われるQ.俺を誰だと思ってんだよ!
第二の人生は延長戦ではない
「おれを誰だと・・・・・・」という場面でいばりたい人は、このくらいのことができなければいけない。
A.あんたはじじい。
『このくらいのこと』→レストランで入店を断れたら、店そのものを買い取って食事。
ロックフェラーは・・・・・・もう白旗振るしかないっス。
第二の人生は、第一の人生の延長戦にあらず。まったく新しい人生なのだ、と肝に銘じよう。そうでないと人格を疑われるか、大恥をかいてバカにされるのがオチだ。第二の人生は、肩書も何もない、「素」のままの人間なのである。「昔は偉かった人だけど、今は・・・・・・ね」と軽蔑される人生でいいのですか・・・・・・?
「昔はよかった」と言うな
過去というのは都合よく粉飾されて現れる。思い出が美しいのはそのせいだ。現在を充実させたいなら、できるだけ過去は振り返らないにかぎる。「昔はよかった」という文句は言ってはいけないのである。
もし、いまがよくなかったら、よくなるように努める。そうすれば思い出している暇がない。過去を思い出すことは、寝ている子を起こすようなものなのだ。「昔はよかった」と感じるようになったら、心身ともに弱っている証拠だ。ワハハハハ!
過去の記憶など朽ち果てた石ころほどの意味もないのだ!(黒歴史的な意味で)
再就職先は選り好みしないジュドーでなくてもこう言いたくなる。降りなさいよ!
事情を問わず、リタイア後もなお働こうとする姿勢を、私は買う。どんなかたちであれ、男は死ぬまで働くべきだと思っている。生活に余裕があっても、働くことをおすすめする。だが一方で、若者と張り合うようになっては、ちょっと大人げないとも思う。後進に道を譲るという気持ちももってほしい。
そもそも「人生80年」ってのが困りものだよね。
この50年で、10年以上余計に生きる、即ち余生を過ごす期間が長く・・・・・・
国民年金、あれは「皆が80歳以上」を想定した制度なのかな。
寄生的な意味ではない「年金暮らしの親子」とか、
下手すっと「年金暮らしの3世帯住宅」とか起こり得るんじゃ?
第2章 60歳からの老いる作法「ごめんあさーせ」
生活をダウンサイジングせよ
山登りをするときは、年齢や体力などによってリュックサックの重さを調節する。年をとってきたら、生活にもこの発想を取り入れることが大切だ。
「わたくし三ツ星のお肉以外はちょっと・・・・・・」
ビジネス本が「ちょっと上の習慣」を煽るから!
『「年金生活だけでは苦しい」などの悲鳴』が、
「ライフラインの維持すら厳しい」って意味には思えないんだよね。
まず金のかかる遊びをやめなさいよ。
財布の中身くらい計算しろ。
第3章 まだ枯れるには早すぎる「歩くATM」と思われてたら、そりゃ入金が無くなった時点で用済みだね(´・ω・)
夫婦の絆を長続きさせるには
彼女はその電報を破り捨てて家に残った。逃げ出したいほどつらい境遇でも、ただ一点、「夫を尊敬できる」ということだけで、夫婦の絆は切れなかったのだ。
「仕事してくれてるから」で中和していたところが、
「もう仕事してないのに・・・・・・!」に変わると詰みかナ。
だから『夫のほうが変わるべき』なんだろうねー。
第5章 死ぬときは死ぬがよろしく候(。´・ω・)?
「お一人さま」の覚悟はあるか
「こんなはずじゃなかった」という声が多いのだという。口の悪い人は、「老人ホームの現状は、昔の北朝鮮の帰国事業と同じ」と言う。北朝鮮では、「天国のような国」という触れ込みでみんなだまされた。それとよく似ているというのだ。
「赤の他人が大勢押し込められた箱の中」が楽しい訳ないじゃん?
入って後悔ってのは・・・・・・夢見過ぎ。
「自分に都合のいい人がいっぱいいる世界」なんて、どこにもねーお。
老人(ジジイ)向けの本。
読み進めていける御老人は、
これを読まなくても「わかっている」「できている」んじゃないでしょうか。
逆に読んで考える必要がある老害は最後まで読まない感がする。