留学の決まったとき、 フランスを希望したところ、 文部省はドイツへ行けといった。 当時、 私が会いたかったのはソルボンヌの教授だったガストン・ジュリアで、 ドイツにはだれもいなかった。 それでどうしてもといってフランスに決めてしまった。 だれに会うというので留学するのだから、 よその国ではだめなのに、 文部省はそんなこともわからなかったらしい。 これも 「 人 」 というものが忘れられている例で、 どの人がしゃべったかが大切なのであって、何をしゃべったかはそれほど大切ではない。 「春宵十話」 ( 情緒と日本人 178頁)
留学の決まったとき、 フランスを希望したところ、 文部省はドイツへ行けといった。 当時、 私が会いたかったのはソルボンヌの教授だったガストン・ジュリアで、 ドイツにはだれもいなかった。 それでどうしてもといってフランスに決めてしまった。 だれに会うというので留学するのだから、 よその国ではだめなのに、 文部省はそんなこともわからなかったらしい。 これも 「 人 」 というものが忘れられている例で、 どの人がしゃべったかが大切なのであって、何をしゃべったかはそれほど大切ではない。 「春宵十話」 ( 情緒と日本人 178頁)