人生には夢と希望がある。
夢は限りなく無限に広がり、あらゆる変化が可能だ。
親爺も幼少の頃は数え切れないほどの夢があったな。
人は誰も夢と希望を持ち、どのような世界でも存在する。
希望は夢とは違い、自己の可能性の欲求であり。
夢は現実の外側にあり無くしても元に戻るだけだが、希望は自己の可能性の欲求で現実の内側にあり無くしたら生きている甲斐がなくなることもある。
それには懸命に生きることが大切かと思う。
命を懸けてというと大げさな感じもするが。
体の五臓六腑は毎日私を生かそうと懸命に動いてくれている。
六十歳を過ぎて大部消耗して来てはいるのだが。
言い換えるなら体や環境には関係なく、今を生きることがどんなに大切なことかということなのか。
生きている限り我慢することはたくさんあり、それが災いになることも少なくない。
我慢とは我を抑えること。
いや、そうすれば何時か破裂してしまうか心身に大きな傷を残してしまうことだろう。
私が思う我慢とは我を満足させること。
我満だと信じたい。
自分の心が満たされれば良いのだ。
不平不満を募らせるより瞬時愚直懸命に生きることが大切なのかな。
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