西アフリカぶるきなふぁそ親爺暮らし

2003年、50歳にて西アフリカのブルキナファソに渡りボランティア。歳月を経ていまではすっかりブルキナ親爺になりました。

ブルキナファソについて知るべき理由

2015-11-17 | Weblog

トリスタン・マコネル 著

西アフリカの内陸国ブルキナファソでは2014年10月31日、市民の激しい抗議デモのなか、27年前の軍事クーデター以来この国を支配してきたブレーズ・コンパオレ大統領が辞任に追い込まれた。

だが、直後に軍が介入。速やかな民政移管を求める声が国内外で高まっている。

 ブルキナファソがこれほど世界の注目を集めるのは初めてのことだろう。

西アフリカの小国で起きた市民の革命について知っておくべきこと、併せてこの国の政変が大きな波紋を広げている理由をまとめてみた。

■ブルキナファソの革命はなぜ重要なのか

 理由はいろいろある。これまでサハラ砂漠以南のアフリカ諸国には「アラブの春」の影響はまったく及んでいなかった。

アフリカの指導者の多くは軍部の出身で、数十年に及ぶ長期支配を続けている。

長老支配の政権と若年層が多数を占める国民の意識のギャップは広がる一方だ。

そうした中で、市民のデモで政権が倒され、比較的平穏に政権交代が実現するのは画期的なこと――アフリカではほぼ前代未聞の快挙だ。

 さらに、この国の政変は国境の外にも影響を及ぼす。コンパオレは欧米諸国と強い結びつきを持つ(最近では、サハラ南縁地域のイスラム過激派対策として、アメリカは無人機、フランスは特殊部隊をこの国に送り込んだ)。

近隣諸国に時には紛争を仕掛け、時には火消し役を務めてきたコンパオレは、旧宗主国のフランスにとって、使い勝手のいい仲介役でもあった。

■なぜコンパオレは失脚したのか

 何十万人もの市民が通りを埋め尽くした今回の抗議デモ。直接のきっかけは、コンパオレが政権の座に居座るために憲法改正の手続きに踏み切ったことだった。

コンパオレは、元友人で左翼革命家のトーマス・サンカラが殺されたクーデターで実権を握って以来、27年間政権を率いてきた(コンパオレ曰く自分はサンカラ殺害を命じていないと主張してきたが、訴追免除特権を失った今、法廷で裁かれる可能性がある)。

コンパオレの支配下では汚職がはびこり、国民の窮乏生活はいっこうに改善されなかった。

■今は誰が実権を握っているのか

 市民の勝利だったはずの革命は、すぐさま軍部に乗っ取られてしまった。

最初に全権掌握を宣言したのはコンパオレの盟友で軍の最高司令官のオノレ・トラオレ将軍だが、直後に大統領警護隊の副指揮官イサーク・ジダが実権をもぎ取った。

ジダは政権の座に長く居座る気はないと言っているが、当然ながら国民も野党指導者も信用していない。

アフリカ連合(AU)は2週間以内に暫定の文民政権に権力を委譲しなければ制裁を科すと警告している。

近隣諸国の首脳は11月5日、ブルキナファソの首都ワガドゥグーで緊急会合を行った。

■コンパオレは今後どうなるか

 コンパオレは33台の車を連ねて家族や側近たちと隣国コートジボアールに逃亡した。

祖国から遠いヨーロッパや友好国に向かわず、隣国に逃げたところにコンパオレの腹の内が透けて見える。

執念深く政権復帰のチャンスを狙うか、それが無理でも祖国の政界を裏で牛耳る気だろう。



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