親爺は外で食する時が好きで時々野外にあるMAQUISと呼ばれるレストランに行きます。
レストランと言っても日本にある屋台のようでビールや炭酸飲料を飲みながら周囲にある屋台に鳥や豚肉のグリルやヤギ肉の鉄板焼きなどを買って街の雰囲気に浸ります。
ある日のこと。
親爺は夜の一時を満喫しようと近くのレストランに行き、地ビールのブラキナ(140円)を注文し、そばの屋台で鳥のグリル(一羽700円)を注文しました。
鳥は生きている鳥をまず選んでから調理しますので出来上がるまでに30分ほどかかり、その間にビールは2本ほど消化してしまうのです。
3本目のビールの口をあけ程無く鳥のグリルが到着、これでビール2本のフライングはあったものの今夜の段取りはそろったと喜んだその時、10歳くらいの男の子がテーブルの横で見ているのです。
親爺は、たぶん外国人だから珍しくて見ているのかと思い、そのうちに行ってしまうだろうと気にせずにいますと、男の子がこちらに近づいてきて鳥のグリルを指さしています。
男の子はストリートチェルドレンのようで服が汚れ所々が破れています。
ブルキナファソの首都ワガドゥグには約7,000人もの子供が路上生活をしていると聞いたことがあります。
親爺は可哀そうに思い食べかけのものを子供にあげると、すかさず店の従業員が出てきて男の子の襟をつかんで引っ張って行き殴り始めたのです。
従業員はきっと私の食べ物を盗み取ったと思ったのでしょう
その時とっさに、やたらにあげるのではなかったと後悔し、私があげたのだからと止めようと思い後ろを振り向いたときには少年はおなかを押さえて座り込んでいました。
やっぱりあげるんじゃなかった。
親爺は呵責の念に苛まれながらも、じっとこらえている男の子を見ておりますと重い足取りでレストランの敷地の隅に歩いて行くのでした。
そこには切り倒された木があり、良く見ると暗い中に何人かの小さな子供たちが座っていました。
すると男の子は、そこに近寄って私の食べたものを渡していました。
きっと男の子は殴られながらも食べ物を他の子たちにあげたいと必死で守っていたのでしょう。
親爺は結果として良かったのか悪かったのか複雑な心境で家路につきました。
ただ言えることは、これが現実であることです。
物をあげるという行為ひとつをとっても、その時は酔いも手伝い、ただ気軽に可哀そうだから。
もしや動物に餌をやるような心情になっていなかったか。
少年の顔を思い浮かべながら、貰うほうの立場も思い憚らなければいけないと深く深く反省したのです。
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