緊急手術を終えて
ICUにいる私のところに
倉敷からお袋が駆けつけてくれた。
酸素マスクを付け、
点滴の管を上半身にまとっている私を見て
人造人間のように見えたのではないだろうか。
恐る恐る「どうしたん」
と声を掛けてくれたお袋は
ベットから見るとえらく小さく思えた。
生きているのを確認すると
お袋は「私より早く死んだら親不孝者じゃ」
と言い残し、そそくさと倉敷へ帰って行った。
80歳になるお袋が、
はるばる倉敷から京都まで一人で来てくれたことに驚き
心配だったが、この時ばかりは感謝の気持ちで
いっぱいになった。
いくつになっても
親と子の関係性は崩れないものだと
つくづく思い知らされた日になりました。
ICUにいる私のところに
倉敷からお袋が駆けつけてくれた。
酸素マスクを付け、
点滴の管を上半身にまとっている私を見て
人造人間のように見えたのではないだろうか。
恐る恐る「どうしたん」
と声を掛けてくれたお袋は
ベットから見るとえらく小さく思えた。
生きているのを確認すると
お袋は「私より早く死んだら親不孝者じゃ」
と言い残し、そそくさと倉敷へ帰って行った。
80歳になるお袋が、
はるばる倉敷から京都まで一人で来てくれたことに驚き
心配だったが、この時ばかりは感謝の気持ちで
いっぱいになった。
いくつになっても
親と子の関係性は崩れないものだと
つくづく思い知らされた日になりました。
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