今日は久しぶりに私の尊敬する大徳寺の禅僧、立花大亀老師の本で一番好きな文章を選んでみました。
人々はよく禅とは東洋的精神主義の権化であると申します。
われも人もかく任じはするものの、しかし禅は、決して人のみのものでしょうか。草木に心なし、と昔から申しますが、春になれば咲く花、南枝まず花開くと言われるように、同じ枝でも日の当たるほうに枝がのびていって花が咲き始めるというとき、心と名づけるまでには無論至らないが心なしとは言えぬ。 虫、小魚といえども、生きるすべを心得ている。
昔、私がまだ修行中の身であったころ、道場の前に一本の梅の樹がありました。毎年毎年沢山の実がなって、誠にありがたい樹でしたが、ある年どうしたことか一個もならなかった。
不思議に思い、専門家に見てもらったところ、さすがは専門家です。『もうこの樹はほどなく枯れるでしょう』と言って、キリで梅の根元辺りを探っていましたが、やがて小指大の蚕のような虫を一匹、樹からほじくりだして私に見せました。
曰く、『この虫は貪欲な奴で、元来、樹というものは根から養分をとって樹の中心を上へと上がり、葉からは精分を吸い込んで樹の肌の間を通って下へと流す。そうして樹は生きているのですが、この虫は葉からの精分を根元近くで吸い取ってしまう。そうして太るにつれて、下へ来る全部吸い取ってしまうので、樹は枯れるのです。そして樹が枯れたら虫も死にます。』
自分が生きていくために、ついに樹を枯らし、自らも死ぬ。
この虫のみではありません。生きとし生けるものはみなこうなのですと語られた。
ああ、なるほどと思いながらも、しかし、昨年はあんなにいつもの倍ほどもたくさん実がなったのですが、と言いいますと、『いやそこにまた生物の妙味があるのです。この樹はちゃんと来年ごろには自分が枯れるということを知っていて、最後の力を振りしぼってたくさんの実を成して地上に残し、種族の繁栄を試みたのです。』
なにも梅は人間に食べられようとして実を成すのではなく、いつしか枯れることを知って実を地上に落とし、育つのを祈っているのです、と言いました。
それを聞いて私は愕然としたのでした。 続きは次回に・・・。
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