プロローグ
アメリカの大学に留学中の娘が結婚したいと連絡してきた。ご相手はインドの人。アメリカ留学して日本に帰国しないんじゃないかと予感はしていたが、まさかインドに嫁にいくとは想定外。
娘が選んだ人なので、相手に対しての不安はさほどなかったが、課題と思ったのがインド固有の習慣や親子関係、親戚付き合い。娘に根掘り葉掘り確認すると「何故そんなことを聞くのかわからない」と怒られた。まぁ、後で娘もわかることだろうとあきらめず覚悟のほどを確認した。覚悟はあるようだから、反対する理由はない。
8月に婿殿来日。我が家に1週間宿泊させてジジババや兄弟に会わせ、彼にとっては初体験のセーリングや魚釣り、海水浴を体験させた。娘と二人で北部九州ー中九州の観光地もチョイスして楽しんできた。
食生活も初体験であろう夏の日本食、サザエやタコを主体とした料理やおきゅうとを食べさせた。幸い彼はアメリカで色々な食を試していたので、日本食も喜んで食べてくれたものだと思う...。
別れる際には、我々夫婦宛てに手紙をくれて、好感度アップ。当初心配していた妻も彼を気に入ったようだ。
結婚式は彼の両親の希望でインドで挙げるという。我々も行く必要はあるか?と娘に尋ねたら、インドの結婚式や披露宴は大変で、相手家族からも、おもてなしが完全にできないから無理に来なくて良いということだった。
言葉も習慣も、まったくわからないインド。還暦近いおっさんは体力も落ちてるし、健康も、異文化に対する対応力も不安がある。なので、夫婦で話し合ってインドには行かないと決めていた。
だが、しかし、娘がインドに行く3週間前、同窓会から帰宅した妻が、インドの結婚式に行くと言い出した。同窓生の子供の結婚式の話や写真を見せられ、気が変わったらしい。
それからの怒涛の忙しさは「準備編」を読んでほしい。
なんとか準備も終えてインドに旅立つことになった。
日本出国~インド入国
出国は顔認証で。パスポートを取得する際、眼鏡をかけた顔では顔認証でエラーになるかも?と言われたが、これがそうかーと思いつつ無事通過。
飛行機はJAL。せめて国際線だけでも日本語が通じる航空会社にしたいと思った。エコノミークラスは狭く、腰も尻も痛い。席は真ん中の通路に面していないところなので、トイレが近いおっさんには苦しい旅だった。訪問先は禁酒法の州なので、最後のビールが飲めたのはうれしかったが。
インディラガンディ空港到着。携帯の電源をONにしたらローミングは問題なし。ただ、電波状態がイマイチなようで、変なマークがスマホの電波状態に表示されている。後で確認すると2Gモードでつながっていたらしい。再起動でようやく3G網につながった。
娘のサポートで入国審査も無事通過。英語すらほぼ理解できない夫婦なので、娘がいなかったらもっと時間がかかっただろう。
荷物を受け取り、出口のフロアへ。
AirTelの窓口でSIMを手に入れようとしたが、なぜか拒否された。日本円をインドルピーに交換すべく換金所に行っても何故か拒否。他に行けと言われたが、婿殿が出口の外で待っているのが見えたので、後でSIMや換金すればよいと考えて空港の外へ。しかしこの後SIMやルピーを手に入れる機会がなかった。。。
婿殿が予約してくれていた政府公認のタクシーで、空港近くのホテルへ移動。毎日悩まされるクラクション音と喧騒の洗礼を浴びました。
デリー~パトナ
ホテル到着。チェックイン時にパスポートのコピーをとられ、外国人宿泊に必要な書類に記入。
部屋に行き、シャワーの湯沸かし器やインド式ウォッシュレットの使い方を一通り婿殿からレクチャーをうける。
インド最初の食事。真夜中でもホテルのレストランで食事できるのが驚き。
辛いもの苦手なので、婿殿がなるべく辛くないものを選んでくれたが、それでも辛くて、「毎日これなのか...」と憂鬱になった最初の食事でした。
スマホの充電。変換器の使い方がイマイチ不明だったが、たぶんこれであってるはず。
朝起きて、クラクションと喧騒の中タクシーで国内線ターミナルに移動。
国内線でパトナへ。
面倒くさい空港のセキュリティを抜けて、ようやく休憩スペースへ。
ケンタッキーがあった。
離陸前は客室の窓を閉めるようキャビンアテンドさんから指示があり、離陸後は窓を開けることができた。大気にはPM2.5の膜ができている。
パトナの空港に到着。飛行機からターミナルへは徒歩で。
空港では婿殿ご両親が歓迎してくれた。
婿殿が予約してくれていたホテル(レッドベルベット)へ移動。
喧騒とクラクションはデリーだけではなく、パトナでも凄まじい。
ホテル到着後昼食。今回も婿殿がなるべく辛くないものを選んでくれた。この食事から結婚式終了まで我々もベジタリアンになる必要があると聞かされた。
料理の名前は覚えることができず、「タコ焼き」「お好み焼き」「フライドポテト」と命名した(笑)