パトナで宿泊していたレッドベルベットホテルの予約がとれず、婿殿が探してくれた駅前の安いホテル(Hotel Aurelia Pearl)に移動していた。事前に婿殿が部屋を確認、問題ある点を改善させていたようだ。このような配慮大変助かりました。このホテル、グーグルに投稿されたレビューでは良い点数だった。
ホテル内で結婚式の披露宴が行われていない分静かだが、夜間気温が下がっていて寒い。エアコンは冷房しかないので暖房はできない。冬のインド北部はそれなりの厚着が必要だと思った。重ね着できるヒートテックを持参していたのが助かった。
ホテルのフロントの一人は英語ができず、責任者と思われる人は英語を話す。しかし相変わらず早口で英語かヒンディー語なのかわからない。
2泊したが、部屋のクリーニングサービスはなく、タオルすら言わないと交換してくれなかった。インドの安いホテルはこんなものなんだろうか。日本のビジネスホテルの良さがよくわかる。
帰国する日、いつものドライバーさんが迎えにきてくれた。車に乗り込もうとすると、ホテルのフロントの人がやってきてレビューしてくれという。急いでいる身なので口頭でGoodと答えたが、用紙に書いてくれと譲らない。しかたなくNoレビューと答えて車に乗った。
レビューといえば、レッドベルベットホテルでは娘がビデオカメラでレビューにこたえていた。あの映像はどうなるのだろう。パトナでは珍しい東洋人の花嫁だったのでビデオを所望されたのだろうと思うが。
婿殿の実家に行き、また会いましょうと婿殿のご両親や祖母とご挨拶。次はタージマハルでと言われた。どこか行きたいところはあるのか?と尋ねられたことがあって「タージマハルは興味ある」と答えていた。王様が亡くなった妻のために巨大で美しい住居を作った。その王様は浪費がたたって失脚したようだが。酔狂な男が作った建物を一度は見てみたい。
婿殿と婿殿の義兄がアメリカ行きのビザを申請するためデリーに行くということで、デリー国際空港まで、頼りない我々夫婦の随行をしてくれた。
パトナ空港では相変わらずのセキュリティチェック。並んでいたら横から入ってくるインド人。それでも昔に比べたらずいぶんと整然と並ぶようになったそうだ。
国内線では朝食も出た。日本の国内線でもずいぶん昔は朝食でてたよなぁ。国内線はインディラ・ガンディー国際空港着だったので乗り継ぎも楽になる。
婿殿の時間に合わせたので、国際空港での滞在時間は6時間。4時間前からではないと国際線のフロアには入れないらしい。国際線フロアの入口を教えてもらって婿殿と別れた。
Costa Coffee でコーヒーを飲む。値段は日本国内のスタバと変わらないくらいかな。クレジットカード決済できたので飲むことができた。
隣の席はインドの裕福そうな家族ご一行。子供が一人だけ別のテーブルに座っていて不思議に思っていたが、家族が飲んだ後のコップ等をお盆にのせて下げていた。着ているものも他の子供に比べたら粗末に見える。推測でしかないが、子供の使用人で旅行に随行しているのだろう。
つくづく我々が住む日本は平和で良い国だと思った。現代の日本は子供を使用人として使うことはない。
4時間前に国際線のフロアに移動。フロア間にはパスポートとボーディングパスをチェックする警察官がいて、行列をさばいている。
1点不安な点があった。我々の航空機チケットは、国際線のオンラインチェックインをした際問題があったようで、JAL窓口にきてボーディングパス発行してくれとメッセージが出たので、警察には予約控えをipadで見せた。自分の勘違いで一人分だけ見せて、これで良いだろうという態度でいたら、一人分足りないという。よく見たら嫁さんの分の控えだったので慌てて自分の分を探して見せてゲートを通過。たいした事はないが冷や汗がでた。すぐに予約控えが見つかってよかった。
JALの窓口に行く。日本語で説明しないと面倒だと思って日本人らしき係員のところに行き「Please japanise speeking staff.」というと、私は日本人ですと言われた(笑)久しぶりの家族以外の日本語が嬉しかった。
厳しい搭乗ゲートフロアのセキュリティチェックをパスし、免税店が並ぶフロアへ。
時間があるので、買う気もないが、どんなものを売っているのだろうと、店をのぞいて回る。
東洋人が爆買いしているので見ていたらおそらく中国人。
嫁さんがお菓子を1箱買いたいというので、お菓子を買って、あとはのんびり搭乗時間を待つ。
JALに乗り込み8時間で羽田へ。羽田は朝6時着。羽田では麻薬犬が活躍していて、飛行機内でもらった弁当をかぎ分けて摘発していた。肉は加熱済みでも日本持ち込みはできないと初めて知った。
羽田では嫁さんの友達と会食し、昼過ぎの便で福岡に戻った。
タフなインド旅行がようやく終わった。
エピローグ
日本に帰国後、2週間程度お腹の調子が悪かった。インドで酷い下痢に悩まされずに済んだのは幸運だった。
同じく帰国後、足に蕁麻疹がでて3週間程度悩まされた。原因はなんだったのだろう。妻は下痢はしていたが、すぐに回復した。
海外旅行の経験は少なく、数十年前に行った海外は観光地のみ。英語もほとんど聞きとれないし、しゃべれない。インドで婿殿や娘のサポートがなければ路頭に迷っていたのは間違いない。サポートがあってもタフな旅行だった。個人旅行でインドに行く人も多いと聞くが、旅慣れた人ではないと無理だろうと思われた。
それでも、このインド旅行記を書きながら、またいつか訪れてみたいと考える。次は自分できちんと調べて計画したい。
宗教に興味はなかったが、日本に帰って仏教や神教についての書籍を読むようになった。自分が信心を持つことはないと思うが、生活に根づく宗教はどのようなものなんだろうという興味がわいた。
娘はインドでの披露宴をこなし、日本に帰国して我々と一緒に住んでいる。
日本の大学に在学しており、あと1年ちょいで博士課程が終わる。3月にアメリカで開催される学会に参加し、そのままアメリカで婿殿と住む計画らしい。アメリカで日本の大学博士課程を終わらせるつもりだそうだ。
新コロナ以降リモートで可能なことが増えた。環境が整ったこともあるが、人々の考えも変わってきたのは間違いない。仕事や学業、研究も、住む場所に制限されず、完遂できる。娘は今でも福岡の実家にいながら、インド帰国中の婿殿とコミュニケーションし、研究室のグループミーティングもリモートで参加している。計算機は在籍する大学や他の大学のスパコンを使って研究をすすめている。卒業後は英語圏で仕事を探すそうだ。
貴重な体験をさせてくれた娘とインドの婿殿、ご家族に感謝したい。