江藤きみえ『島々の宣教師 ボネ神父』、42
第3部 永遠への出発
◆2、最後のころの思い出をつづる人々
◆ 別れてのち(ある人の思い出)
ボネ神父さまは、とうとう衰弱のため、八幡ミッション会本部に隠居されることになりましたが、わたしは、神父さまが新田原を発った日のことを、どういうわけか、まるっきり覚えていません。自動車に乗りこむとき、手放しで泣きながらそのくせ、「わしも入梅じゃ」とふざけていたという話は、神父さまの没後、はじめてシスターに聞いたことです。神父さまは、そののち、昭和28年に、2回ほど姿をみせられただけで、ますます衰弱がひどくなってきたといううわさがったわってきました。
ところが、ある日のこと、とつぜん神父さまが新田原に帰ってこられたのです。それは、昭和31年10月で、ちょうど安静時間中でした。自動車が修院の玄関のあたりにとまったような気配がしたと思ったとたん、シスターたちの黄色い歓声がきこえてきました。それが、ボネ神父さまゼと、ピンとくるものがありました。胸をおどらせて、安静時間のおわりを待ちましたが、いっまでたっても神父さまの足音はきこえないのです。違ったのかな? - いいえ、違ってはいませんでした。
すっかり衰弱のきわみに達した神父さまは、ご自分の最後の地として、新田原を選ばれ、そのせつなる希望がいれられて、ふたたびここへ帰ってこられたのです。しかし、記憶力は完全に失われ、わずかにものにすがって伝い歩きができる程度で、以前のような病室訪問など、思いもよらぬことでした。しかしわたしは、神父さまを身近に感ずるだけでも、じゅうぶん幸福だったのです。
いつか神父さまは、わたしの病室の前をシスターにささえられて通られたことがありました。そのとき、シスター・メリーがわたしを指さしました。
「奥さんが、神父さまの祝福をいただきたいと申しています」。神父さまは、しばらくいぶかしそうにわたしの顔をごらんになりました。何年ぶりかで神父さまの温顔がそこにあったのです。一見、昔のままの姿で、顔つき、からだっき、白ひげ、深いしわの形から血色まで、昔と少しも変っていませんでした。しかし、思いなしかその表情には、どことなく空虚なものがただよっていました。
神父さまは、わたしを見おぼえてはいないのです。やがて、神父さまの左手がかすかに動き、十字をきりました。宗教ぎらいなわたしは、自分でも不思議なほど、すなおな気持で頭をたれたのです。シスターは、いろいろわたしのことを神父さまに説明しましたが、それが耳にはいっているかどうかも、はっきりしません。
なにか話したいわたしの衝動も、激しい感動のため、ことばにならないのです。すると、神父さまは、くちびるをほころばせ、白いひげのなかで、歯のない口が動きました。
「おお、笑っている」。まるで赤ん坊でもあやすようにわたしにむかってそういうと、ふたたびシスターの肩にすがって重い足を運んでゆかれました。記憶がうすれ運動機能や、感覚器官が用をなさなくなっても、それはほんのうすっぺらな外面一重のことで、神父さまの本質は、少しも変わっていないではないか。そう悟ったとき、わたしは、神父さまの美しい本質が少しもそこなわれないで、不自由なそのおからだの底にかがやいているのを認めました。
是非、フェイスブックのカトリックグループにもお越しください。当該グループには、このブログの少なくとも倍の良質な定期投稿があります。ここと異なり、連載が途切れることもありません。
第3部 永遠への出発
◆2、最後のころの思い出をつづる人々
◆ 別れてのち(ある人の思い出)
ボネ神父さまは、とうとう衰弱のため、八幡ミッション会本部に隠居されることになりましたが、わたしは、神父さまが新田原を発った日のことを、どういうわけか、まるっきり覚えていません。自動車に乗りこむとき、手放しで泣きながらそのくせ、「わしも入梅じゃ」とふざけていたという話は、神父さまの没後、はじめてシスターに聞いたことです。神父さまは、そののち、昭和28年に、2回ほど姿をみせられただけで、ますます衰弱がひどくなってきたといううわさがったわってきました。
ところが、ある日のこと、とつぜん神父さまが新田原に帰ってこられたのです。それは、昭和31年10月で、ちょうど安静時間中でした。自動車が修院の玄関のあたりにとまったような気配がしたと思ったとたん、シスターたちの黄色い歓声がきこえてきました。それが、ボネ神父さまゼと、ピンとくるものがありました。胸をおどらせて、安静時間のおわりを待ちましたが、いっまでたっても神父さまの足音はきこえないのです。違ったのかな? - いいえ、違ってはいませんでした。
すっかり衰弱のきわみに達した神父さまは、ご自分の最後の地として、新田原を選ばれ、そのせつなる希望がいれられて、ふたたびここへ帰ってこられたのです。しかし、記憶力は完全に失われ、わずかにものにすがって伝い歩きができる程度で、以前のような病室訪問など、思いもよらぬことでした。しかしわたしは、神父さまを身近に感ずるだけでも、じゅうぶん幸福だったのです。
いつか神父さまは、わたしの病室の前をシスターにささえられて通られたことがありました。そのとき、シスター・メリーがわたしを指さしました。
「奥さんが、神父さまの祝福をいただきたいと申しています」。神父さまは、しばらくいぶかしそうにわたしの顔をごらんになりました。何年ぶりかで神父さまの温顔がそこにあったのです。一見、昔のままの姿で、顔つき、からだっき、白ひげ、深いしわの形から血色まで、昔と少しも変っていませんでした。しかし、思いなしかその表情には、どことなく空虚なものがただよっていました。
神父さまは、わたしを見おぼえてはいないのです。やがて、神父さまの左手がかすかに動き、十字をきりました。宗教ぎらいなわたしは、自分でも不思議なほど、すなおな気持で頭をたれたのです。シスターは、いろいろわたしのことを神父さまに説明しましたが、それが耳にはいっているかどうかも、はっきりしません。
なにか話したいわたしの衝動も、激しい感動のため、ことばにならないのです。すると、神父さまは、くちびるをほころばせ、白いひげのなかで、歯のない口が動きました。
「おお、笑っている」。まるで赤ん坊でもあやすようにわたしにむかってそういうと、ふたたびシスターの肩にすがって重い足を運んでゆかれました。記憶がうすれ運動機能や、感覚器官が用をなさなくなっても、それはほんのうすっぺらな外面一重のことで、神父さまの本質は、少しも変わっていないではないか。そう悟ったとき、わたしは、神父さまの美しい本質が少しもそこなわれないで、不自由なそのおからだの底にかがやいているのを認めました。
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