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江藤きみえ『島々の宣教師 ボネ神父』、40

2017-07-10 15:35:36 | ボネ神父様
江藤きみえ『島々の宣教師 ボネ神父』、40

◆、衰弱

 もし愛がぎせいの代価なしにえられるものでしたら、神父さまのご生活は、なんの感激もよろこびもなかったはずです。あの真夏の太陽のように陽気でらいらくな神父さまにも、その明るさに匹敵するだけの暗い影として、苦労のつきまとうていたことを、わたしは知っています。

 神父さまは、ときおりわたしのベッドにどっかり腰をおろすことがありました。病室以外で神父さまに接する機会を持ちえなかったわたしは、そんな時ののぞき込むようなやさしい青いまなざしが、もっともなつかしい記憶の一つとして残っています。

 こんな日々をくりかえしてゆくうち、わたしは、神父さまが腰をおろさずにゆかれる日は、もの足りなく感ずるようにさえなっていました。それにしても、わたしがいちばんっらい思いをしたのは、神父さまの立ちあがるときでした。このよいサマリア人は、他人のためにつくすことで、すっかりからだを消耗しきっていたので、かわいそうに、こんななんでもない動作のためにも、いちいちかけ声をかけて、エネルギーを集中させねばならなかったのです。

「イチ、ニの、ゴー」。しかし、こんな時にも、まともにものをいわない人でした。

 ときおり、ふとんの上に投げだされたわたしの青白く細い手をみると、神父さまはご自分の疲れなど忘れてしまって、憐閥の情を包みきれなくなり、わたしの手を取り、ゆすぶるようにして、モン・プティ!モン・プティ!とくり返すこともありました。

 さも疲れたようにぐったりと肩をおとし、たるんだまぶたをゆっくりこすりながら、「こうしてすわっている間はいいが、今度立ちあがるのがきつくて・・・」。

 あるとき、豪気な神父さまも、思わずこんな弱音を吐きましたが、やがて気をとりなおすようにして身がまえると、「イチ、二の・・・」

 神父さまの立ちあがる動作にあわせて、わたしは先まわりして声をかけました、・・

「ゴーツJ。

 ところが、同時に神父さまは、「サンッ」といって立ちあがっていました。そして、してやったりというようにふり返り、例のいたずらっぽい笑いをニヤリと投げて出ていったのです。


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