まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.792 千本通、時代の欠片

2017-08-08 10:07:59 | みち
おはようございます。














「ぶおぉぉぉぉ~っ」と蒸気機関車の汽笛が聞こえてくる、家が建ち並ぶ所の向こう側にはJR東海道線の線路が何本も横に重ね合わせたようにあり、更にその向こうにあるのが京都鉄道博物館。そろそろ行かんなあかんな~とは思っているのだがなかなか機会が見つけられない、休日は人いっぱいだろうしなあ・・・と言うことで写真1枚目、2枚目にあるのはそんな賑やかな場所とは対照的な普通の生活感が漂う風景。道の真ん中にほったらかされているゴミ袋が風景を汚しているが、なぜこの辺り道の真ん中が色分けされているのだろう?と思いながら色の変わっている所をそのまま進んで行ってみると写真3枚目でその道は不自然に曲がっていてそのまま写真4枚目の公園へと通じている。この公園見覚えあるな、と思って入ってみるとそこにあったのは写真5枚目にある羅城門跡の碑、こんな雑然とした住宅地の中の狭い公園に塑像するに大きな建物だったと覆われる羅城門があったとは到底思えないが、それももう1000年も前のことである。でここに羅城門があったと言うことはさっき走って来たごみ袋が散らばってた道が千本通ってこと・・・











ちょっと場所を逸れて京都駅前へとやって来ました、場所は写真1枚目にチラッと見えてますね、油小路と八条通との交差点で新幹線と近鉄が高架で交差する所。油小路の京都駅南側は北側で並んで通っている堀川通を吸収した感じで大きな道となって南へ伸びている。イオンの大きな店があり歩道は人通りが多い所だが、その一角で新幹線の写真を撮る、ここなら駅のすぐ近くなのでゆっくりと走ってくれるので写真も撮りやすい。この油小路は国道1号線でもあり南へと少し進むと当時の大きな五重塔が見えてくる、見えてくると言っても京都駅からも見えているんですけどね。京都駅を走る電車や新幹線をバックに写る五重塔は京都を象徴する風景としていろいろな所で見かける、この辺りが世界に観光都市をアピールするのにいい材料になっているが、奈良にはそう言う風景がないんですよねえ、鹿と建物だけ写しときゃええみたいな感じで・・・。












東寺から国道171号線(九条通)へと入って少し進むと、さっきの羅城門のある公園の近くへと戻ってくる、その公園の表側の国道に面した所には写真2枚目にあるようにお堂や道標が立っている。その手前には横断歩道があるがそこの交差点名が写真1枚目にある九条御土居の表示、御土居と言えば『ブラタモリ』でもやってました、豊臣秀吉が京の防御のために町を囲むようにして造られたと塁、一種城壁みたいなものでしょうか。その御土居がはっきりと残っている場所として千本通をずっと北へと言った所にあるのは随分前にここでお伝えしたことがありました。羅城門にせよ御土居にせよ往時の面影など全く見当たらないが、そう言えば一番最初にお伝えした写真、民家が並ぶ道にゴミ袋が転がっている写真、道の色が変わっている所は2枚目、3枚目を見ると分かるようにほんの少しだけ段差となっている、これってもしかしたら御土居の跡なのかも・・・な~んて言ったら専門家の人たちが「そんなことあるわけないやろ」と言ってきそうだが、想像するのは自由なことなので、勝手に言わせといてください。
この横断歩道の先から南へと伸びる旧街道風の道が千本通、この道も前にここで紹介したことがあります。途中には写真にあるように常夜燈や道標、旧街道の雰囲気が漂う町並もあって走っていても風景に飽きることはない。この道の1本西側には新千本通があってこちら側の道は旧千本と称されている、と言っても新千本の方は途中から自然消滅してしまいこちらの旧千本の方が最後、京都競馬場の近くまで通じている。最後の2枚の写真にある、道がカーブした所にあるお寺は『聞きこみ発見旅』で名所登録された所、あの時は近鉄京都線上鳥羽口駅での名所登録だったが、結構距離があるので歩かされたんやな~、まあ番組ではこれくらい歩くのはまあ当たり前のことか。さて、GWの一番最後の日、京都で映画を見た後に奈良まで帰るルートとして走った千本通南側部分、次回も引き続きその模様をお送りしていきたいと思います、またお付き合い願えたらありがたいことです、今回はここまでとしておきましょう。         まちみち