まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.1788 万葉歌碑巡り・奈良盆地中部編

2022-07-10 19:42:49 | 万葉
よろしくお願いします。

















奈良県内での万葉歌碑巡りはある程度巡ってはいるのですが、ここでそのお伝えをしたのがもうかなり前のこと、その時に取り上げきれなかった歌碑や、巡りで見つけきれなかった歌碑、その後新しく見つけた歌碑もあります。今回は奈良盆地中部編としてお送りしていくのですが、もはや歌碑ではなく案内板や歌が書かれているものなども取り上げています、やはり奈良は万葉のお膝元と言うのを改めて思い知らせてくれる感じです。

「あしひきの 山の際照らす 桜花 この春雨に 散りゆかむかも」(作者不詳・巻10-1864)

写真1枚目、2枚目は広陵町の馬見丘陵公園の近くにある歌碑、案内にあるように矢印の方向に進むと桜峠と言う場所に行けるわけだから、桜つながりでこの歌が記されているのか・・・。

「大君の 命畏み 柔びにし 家を置き こもりくの 泊瀬の川に 舟浮けて・・・」(作者不詳・巻1-79)

「みてぐらを 奈良より出でて 水蓼の 穂積に至り 鳥網張る 坂手を過ぎ 石橋の 神奈備山に・・・」(作者不詳・巻13-3230)

長い歌が続いて出てきました、上の歌は写真3枚目、4枚目、田原本町の村屋神社にある歌碑にあるもの、感じがズラリと並んで何やら分かりにくい感じ。歌の主が天皇の命で住み慣れた家を離れて大和川を渡って奈良の都の造営に努める、と言う意味のものです、この神社が大和川の近くにあるのでこの歌なのでしょう。その次の歌も感じがズラリと並んで全く意味不明、こちらも写真5枚目、6枚目にある田原本町の神社で見つけたもの、田原本町の中心部に近い阪手集落の中にあり、歌の中にも「坂手」と言う二文字が見えています。ここで来訪した2つの神社については近々神社巡りの項でもお伝えすることとしておきます。

「うちひさつ 三宅の原ゆ ひた土に 足踏み貫き 夏草を 腰になづみ いかなるや・・・」(作者不詳・巻13-3295)

写真下5枚目、近鉄石見駅前にある案内板に書かれたこれも長い歌なのですが、歌の途中で歌い手の主が変わっているのがうかがえます。その横に書かれた訳文を見るとこの歌は母親と息子の会話になっていて、息子の妻の存在を両親が知らないと言う何ともわけありな感じの内容なのですが・・・、まあそれは良しとして、この歌は太子道沿いの三宅町の中心部にある「恋人の聖地」と呼ばれる場所にも歌碑があるのですが、場所の名前にこの歌の内容はちょっと意味深な感じもしますね。この長い歌の中には「あざさ」と言う言葉が出てきますが、この町の花があざさとなっていて町内の至る所で見ることができるのが、この生々しい歌の癒しにもなっているかのようです。

















「ひさかたの 天知らしぬる 君故に 日月も知らず 恋ひわたるかも」(柿本人麻呂・巻2-200)

橿原市、明日香村での万葉歌碑巡りはほぼ終えていたのですが、写真下2枚の歌碑がある神社は神社巡りで初めて訪れた所にあった歌碑、と言うことで取り上げました。前半部の「君」はもうすでに亡くなっている人を表していて、ここでは高市皇子を指している、この200番の前に柿本人麻呂は高市皇子に当てて長い歌を詠んでいて、この200番はその反歌に当たることから、皇子に対しては特別な思いがあったかのようにうかがえます。




















今回は5日ぶりの更新となるのですが、これはよくあるネットの不都合があってのもの、最近調子が良かっただけに油断した頃にやって来た感じです。そしてこの更新が空いた日の間に奈良県では最悪の事件が起こってしまいました。同じ奈良市に住んでいるしょ~もない奴がしょ~もない理由、本人にとっては深刻かも知れないが人を殺すには十分しょ~もない理由で・・・。それに奈良県警の警備もあまりにも杜撰で杜撰で・・・、安部さん、まさか奈良でこんな目に合うなんて思ってもなかっただろうなあ、無念だよなあ・・・。自分(一人称)も昨日(9日)、事件現場の近鉄西大寺駅前に行って手を合わせてきました、そんな柄でもないんですけどね、駅からはずっと献花に訪れた人の列がズラリと続いていて、アンチも多かったけどやっぱり日本のために一生懸命働いてくれた人としてみんな認めてたんですね。それだけにもう本当に奈良の人間のしでかしたことが情けないやら、恥ずかしいやら、嘆かわしいやらで・・・、本当にごめんなさい、ごめんなさい・・・







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