まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.1140 平城京外京

2019-06-02 19:28:05 | 
おはようございます。







今回は上の地図の青色の枠で囲んだエリア、平城京で言えばいわゆる外京と呼ばれるエリアです。












写真1枚目、2枚目はこないだリニューアルされたJR京終駅、文字通り「京の終わり」となる場所にある駅ですがその位置は平城京の枠からは外れた所にあります。上の写真にある場所は四条大路と五条大路の間にある、ここでは京終、紀寺界隈の町並として何度か取り上げたことがありました、奈良の中心部からは外れた所ですが奈良町の雰囲気がそのままこの辺りまで流れ込んでいるかのような感じです。写真下4枚目は東六坊と東七坊両大路に挟まれた所にある道ですが、往時は紀寺、元興寺、興福寺の並びで大寺院が並んでいた所、写真では道の先の方に興福寺の五重塔が見えているが、その頃は大きな寺院の建物や壁などがその眺めを遮っていたことだろう、その辺りは平城京廃寺巡りでまた触れてみたいと思っています。


















奈良町界隈もここではしつこいくらいに取り上げたことがありました、何せうちから近いですからね、それにネタになりやすい町並、条坊図では2マスを元興寺が占領してしまっているがその辺りが奈良町に当たります。今では奈良町界隈の埋もれた感じの場所にある元興寺が興福寺を凌ぐほどの大きさだったとは・・・そのせいか奈良町と興福寺の間を通る三条通=往時の三条大路に当たる部分で、観光客の質が何か変わってしまうような感じがしてしまいます。奈良を象徴するかのようにそびえる五重塔を持つ興福寺付近は、奈良を京都の一部と思ってやって来る外国人が多く屯していて、一方の奈良町、元興寺界隈にやって来る人たちは本当に奈良を知ってくれている人たちやな~と言う変な偏見を持ってしまう。いや、せっかく奈良にやって来てくれている人たちにそんな偏見を持ってはいけませんね、ただ興福寺界隈は鹿もたくさんいて場所的にメジャーだし交通の便もいいし普通に行きやすい所なんですね、最近は日本語でない言語が飛び交っているのが何か、何かな~とも思ってしまうのですが・・・。













平城京がスッキリとした形でなくて右上にポコッと出たエリアがあるのは、この元興寺と興福寺を都に含めたかったからなのかな?今でこそ近鉄奈良駅と県庁があり奈良の一番の中心部に当たる場所だが、往時は政治の中心部は平城宮にあってここからは少し離れている、しかも平城京のエリアから離れた更に東の方には東大寺、春日大社、新薬師寺と名の高い寺院が控えている、ここも含めると平城京がもっといびつな形になっていたのかも知れない。上の写真にある餅飯殿通りは東六坊大路に当たる道で今回の一番最初に紹介したJR京終駅からずっと真っ直ぐに続いている。この道は三条通り・・・写真4枚目にあるのがその通りですが、もうご覧の通り、外国人ばかりです・・・を過ぎて東向商店街のアーケード商店街となるが、なぜその商店街が「東向」と言うのかは前に『ブラタモリ』で説明されていた、そう考えると平城京の一番東はここになっていたのかも知れないが、平城京設立と同じ年に建立された興福寺・・・実はこの寺院は藤原京にあった寺院を移設したものだとか・・・を入れた東六坊よりもう一坊東のエリアまでが平城京に組み入れられたと言うことか。しかし南側が五条大路で切れているのはよく分からない、そこは別に高台でもないしジオラマを見ても田畑が広がっているだけで町を造るにもそんなに不便はなさそうな気もするのだが。都は朱雀大路を中心にバランスがとれた形でなくてはいけないのか、いずれにしても外京、謎多き場所でありました、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。          まちみち






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