よろしくお願いします。
前回『再訪、巨椋池』と題して京都方面をチョイ走り、伏見区から一旦京都駅の北側へと入った後は再び伏見区へと戻って宇治川沿いへ、その後は国道1号線へと入り以前も訪れたことのある東一口の町へとやって来ました。その時に気になっていたのが宇治川へと合流する2本の川、東一口の集落はこの2本の川に挟まれるようにしてあるが、ここは元は巨椋池の中州になっている所であって集落は河川敷より一段高い所に位置している。2本の水路が合わさって宇治川に流れる手前にあるのが久御山排水場、国土交通省の冠がついているから国の管轄にあるのだろうか、大きな水門が威圧感を示している。2本の川のうち写真3枚目~5枚目にある水路には「巨椋池排水幹線」と何とも機能的って言うか人工的な名前が付けられている、そしてもう1本、集落の南側を流れているのが古川、今回はこの河川を追って城陽市方面へ向かって行ってみようと思います。
向こうが機能的な名前に対して古川は何とも古めかしい感じ、この川を追って行くとその語源となっている所へと行けるのだろう。そう思いながら東一口の集落を抜けると川の向こうに見えているのが久御山Jct、高速道路と一般道が十字に交差して道路がややこしく入り込んでいる下を川は何気ない感じで流れている。ジャンクションを通り抜けると目の前には一面緑の風景が・・・走ったのは7月の中頃、田植えもひと段落して苗も伸び始めてきている・・・広がっていて、その緑の中を古川が貫いている。この緑色の場所が昔は巨椋池だったのだろう、ずっと広い範囲でその光景が広がっていて建物や町ははるか先の方に見えていて、古川は田園風景の中で第二京阪と大久保バイパスの間で真っ直ぐ南へと並行している。今回は『巨椋池で川巡り』ってちょっと違和感のあるタイトルを付けたのですが、まあその巡りはそのタイトルのまんまですからね、この辺り、川が一直線に流れているのはここが埋め立てられたて区画された所だと言うことをうかがわせているかのようです。
田園風景が終わり住宅地の中へと入ると古川も緩やかなカーブを描いての流れとなってくる、久御山町から宇治市へ、この辺りは昔から川の流れがあって巨椋池への流れ口となっていた所だろう。川はその後城陽市へと入るが大久保バイパスとはずっと並行したまま、そして西側は第二京阪に代わって木津川の堤防が寄り添ってくる。川沿いを進んで行くことはできたが、途中からは川岸の工事が行われていて、そんな雑然とした光景がずっと続いていてもう見所もなさそう、と言うことで川から離れてバイパスの歩道を進んで城陽市の中心部へと向かうことになった。ちなみに古川の名前の元となった地名は、この界隈では見つけることができなかったが、後で地図で調べてみると城陽市の一番北にある上津屋地区・・・あの流れ橋がある所です・・・に古川小学校と言うのがあったので、ここら辺が古川と言う地名だったかも知れない。この近くのバイパスには城陽平川と言う交差点があるが、その平川と言う地名も古川からなまってできた地名かのように思える、まあすべては予測の範囲での話なのですが。そんなわけでちょっと中途半端な形で終わった川巡り、でも巨椋池はまだまだ探ってみたい所でした、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち
前回『再訪、巨椋池』と題して京都方面をチョイ走り、伏見区から一旦京都駅の北側へと入った後は再び伏見区へと戻って宇治川沿いへ、その後は国道1号線へと入り以前も訪れたことのある東一口の町へとやって来ました。その時に気になっていたのが宇治川へと合流する2本の川、東一口の集落はこの2本の川に挟まれるようにしてあるが、ここは元は巨椋池の中州になっている所であって集落は河川敷より一段高い所に位置している。2本の水路が合わさって宇治川に流れる手前にあるのが久御山排水場、国土交通省の冠がついているから国の管轄にあるのだろうか、大きな水門が威圧感を示している。2本の川のうち写真3枚目~5枚目にある水路には「巨椋池排水幹線」と何とも機能的って言うか人工的な名前が付けられている、そしてもう1本、集落の南側を流れているのが古川、今回はこの河川を追って城陽市方面へ向かって行ってみようと思います。
向こうが機能的な名前に対して古川は何とも古めかしい感じ、この川を追って行くとその語源となっている所へと行けるのだろう。そう思いながら東一口の集落を抜けると川の向こうに見えているのが久御山Jct、高速道路と一般道が十字に交差して道路がややこしく入り込んでいる下を川は何気ない感じで流れている。ジャンクションを通り抜けると目の前には一面緑の風景が・・・走ったのは7月の中頃、田植えもひと段落して苗も伸び始めてきている・・・広がっていて、その緑の中を古川が貫いている。この緑色の場所が昔は巨椋池だったのだろう、ずっと広い範囲でその光景が広がっていて建物や町ははるか先の方に見えていて、古川は田園風景の中で第二京阪と大久保バイパスの間で真っ直ぐ南へと並行している。今回は『巨椋池で川巡り』ってちょっと違和感のあるタイトルを付けたのですが、まあその巡りはそのタイトルのまんまですからね、この辺り、川が一直線に流れているのはここが埋め立てられたて区画された所だと言うことをうかがわせているかのようです。
田園風景が終わり住宅地の中へと入ると古川も緩やかなカーブを描いての流れとなってくる、久御山町から宇治市へ、この辺りは昔から川の流れがあって巨椋池への流れ口となっていた所だろう。川はその後城陽市へと入るが大久保バイパスとはずっと並行したまま、そして西側は第二京阪に代わって木津川の堤防が寄り添ってくる。川沿いを進んで行くことはできたが、途中からは川岸の工事が行われていて、そんな雑然とした光景がずっと続いていてもう見所もなさそう、と言うことで川から離れてバイパスの歩道を進んで城陽市の中心部へと向かうことになった。ちなみに古川の名前の元となった地名は、この界隈では見つけることができなかったが、後で地図で調べてみると城陽市の一番北にある上津屋地区・・・あの流れ橋がある所です・・・に古川小学校と言うのがあったので、ここら辺が古川と言う地名だったかも知れない。この近くのバイパスには城陽平川と言う交差点があるが、その平川と言う地名も古川からなまってできた地名かのように思える、まあすべては予測の範囲での話なのですが。そんなわけでちょっと中途半端な形で終わった川巡り、でも巨椋池はまだまだ探ってみたい所でした、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち
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