タイで子連れ狼

何の因果か運命か、異国の地にて親父単独で二人の子を育てることに。

さあ大変の、てんやわんや育児&生活日記

煙害の季節到来 林芙美子の突進力に思う

2024-03-09 21:18:06 | 思った事 考えたこと

息苦しい 喉がザラザラしてると思ったら山が霞んで見えない

AQIが171になっている 煙害の季節が到来した
鼻の奥に何かが詰まってる感じがして 目の周りが熱い
ズキズキ頭痛がする

 暑いなと思えば、摂氏40度
放射冷却の反対語はなんだっけ 温室効果だっけ

あち あち あちちち(;´Д`)

お約束のセリフが口から飛びでる
「ここは人間の住む場所ではなぁぁい!

暑い時は 熱いもの食べるアル

セブンイレブンに新たなカップ麺を見つけました
一風堂 (すみれセプテンバーラブ)
ホンモノと同じく赤丸新味と白丸元味とがある

早速 食してみた
うまい!! これぞホンモノっていう味
一気に完食 ぷりぷりのキクラゲが嬉しい


新商品にはちくわもあった
これもウマい! 本物だと言っていい
子供の時 山口県の宇部か小野田か忘れたが手作りふうのちくわを食べた記憶がよみがえる
衝撃的に美味しくて何本も食べた
それ以来 ちくわと言えば山口県だと思っている

山口県の下関といえばこれ


瓦蕎麦

熱々に焼いた瓦の上でぱりぱりの蕎麦がおいしい
海を挟んで門司港でも名物になっていて 
春休みに一緒に行こうと娘から誘われたので
ちょっと食べに行こうかと計画している

娘のお目当てはレトロな大正ロマン喫茶なんだよね
このエモい店内の雰囲気が彼女の感性にドストライクらしいw


写真ネット拝借 エモさ炸裂
まったく変わった趣味の娘だよ(親父に似て(^^;)

100年前の門司港といえば九州で一番の最先端シティー
小説「海賊と呼ばれた男」のモデルになった人物が会社を興した場所でもある

出光佐三が福岡県門司市(現・北九州市門司区)で日本石油(現・ENEOS)の潤滑油の特約店の「出光商会」として、1911年(明治44年)に創業した。1940年(昭和15年)には現法人が設立され、戦後高度経済成長の波に乗り石油の輸入・精製を手がける民族資本の元売大手として発展した。
Wikipediaより引用
 ちなみに出光佐三の生まれ故郷である宗像へは快速電車で一時間半
道を歩けば出光さんに当たるというくらい出光さんばかり

また門司は大正昭和の随筆家 林芙美子の故郷でもある
芙美子は関門海峡で産まれて小学生までの子供時代は山陽地方や北九州、筑豊直方、長崎にも住んでた
炭鉱 鉄鋼 港町 両親が行商人ということもあって人の集まる場所を転々と移り住んでいる
実父と思われる宮田麻太郎が自分の子だと認知しなかったので、母方の戸籍に入ったそうな
雇われていた番頭さんと母親が不倫して家を追い出されたという感じで
その元番頭さんが父親になって育てたのかな

芙美子は広島県の尾道市立女学校を卒業しているので尾道に記念館がある
学校を卒業してからは婚約者を追いかけて東京に住んだものの
流行の大正ロマンっぽいというか 直ぐに婚約解消したのち色んな恋愛を繰り返して経験を積んで? 最終的には画学生と落ち着いた 
というか世間知らずでロマンチストな画学生が色気に騙された~^^;冗談です

売れっ子作家になってからは 単独でパリやロンドンへ一人旅
満州事変の頃であり、ロンドンから送った紀行文が「共産党にカンパを約した」 と疑惑を持たれて逮捕され しばらく留置されたそうな
文才があるので警察から影響力を疑われたのでしょうかね

ザっと大まかに明治大正昭和の激動期を早足で駆け抜けた 先鋭的で恋多き飛んでる女性という感じでしょうかね
急逝の直前、6月24日には、NHKラジオの生放送「若い女性-会ってみたい人の頁」にゲスト出演し、女子大生数人に対し質疑応答をおこなっている。この中で芙美子本人が「すでに晩年であると思い、むだな球は投げない」とも語っていた。Wikipediaから引用
とありますから 、人生やり切った感あったと推測します
享年47歳

レトロ喫茶から話があらぬ方向へ飛んでしまった

人生やり切った感か~、、、ちょっとうらやましいな
しがらみや責任をうっちゃって
我慢せずに やりたいと思った事に突き進む
 
そして最後は「我が人生に一片の悔いなし!」と言って朽ち果てる
周囲は迷惑かもしれないが、自分だけは満足しそう(笑)

葬儀委員長の川端康成は、『故人は、文学的生命を保つため、他に対して、時にはひどいこともしたのでありますが、しかし、後二、三時間もすれば、故人は灰となってしまいます。死は一切の罪悪を消滅させますから、どうか故人を許して貰いたいと思います』と弔辞の中で述べたという。 

さてはて、うちのゴジラ娘はどのような人生を歩むのかな?
林芙美子先輩くらいゴウケツならいいんだけど
意外と線の細いところがあるからね

今回の一時帰国は娘の春休みに合わせてのスケジュール
転倒骨折して腎臓の弱っているお婆ちゃんも久しぶりの帰宅となる予定だし
つかの間の家族団らんを心に焼きつけたい


尾道にある林芙美子像

奥の線路には女優小林聡美さんが自転車で駆け上った高架橋が今もある
坂の上には小林さん扮する斉藤一美の家が空き家として解体を待っている

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4 コメント

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Unknown (menkarm)
2024-03-10 02:10:17
今年のウドンは何度か雨が降ったので霞んだりはしてませんけど、黄砂なのか車は砂埃で汚れてます。
セブンの美味しい物情報をありがとうございます。
一風堂は昔に大阪で食べに行きましたが、再現度が気になりますね。
竹輪は、タイへ来てから美味しいのに出会いませんから期待しますよ。
お嬢さんはブログから精力的て感性豊かに感じますから、将来は会社の枠へ収まるより、起業されて成功されるのでは?私はとても楽しみにしてます。
映画「転校生」と言えば小林聡美のおっぱい。www
当時17歳(今の娘と同じ)だったそうですから、撮影は大変だったでしょうね。
家の娘は今でも自宅で裸でウロウロしますし、私が浴室へ居ると「一緒に入っちゃおうかな?w」なんて言ってますが、他人の前では出来ないと思いますよ。
返信する
大東亜戦争の前の平均余命は50歳未満 (ハシビロコウ)
2024-03-10 10:55:32
志村喬の映画「生きる」も定年退職ちょっと前の話で50歳位、
1950年代の中盤位で当時の平均余命は60歳前後、
今でこそ、男性の平均余命が80歳突破、
肉体的には、47歳だったら、幾ら当時栄養が悪いとは言え、
そんな老齢を感じていなかったでしょうが、
40歳で初老と呼ばれていたので、
林芙美子が早逝と言う事も無かった気がします。
AEDが有れば十分蘇生した感じがしますが、
夏目雅子も今だったら、骨髄提供希望者が湧いてでて、
寛解して活躍したかも知れません。
時代は選べない。
「就職氷河期時代」はお気の毒ですが、
1930~40年代だったら、召集されて戦死した人も多数。

お嬢さんが、如何言う道に進むか、楽しみですねぇ。
色々才能に恵まれている様だし。
「舞台は貴女を待っている」😁
とは言うモノの、林芙美子は「訓導」の勧めで才能を開花させましたが、
ダライ・ラマ14世は極端に良い事は無いと言って居ますが…
春休みに良い事が沢山有りますように。

カワラ蕎麦、ヘギ蕎麦、ザル蕎麦…何か容器の話って言うのも不思議(笑い)
返信する
Unknown (muga)
2024-03-10 15:07:08
メンカームさん、こんにちは
広域地図を見るに北タイ辺りが酷い煙害のようです
一風堂のカップ麺は驚きましたね、辛くないので直ぐに消えちゃうかもしれません
大カップの豚骨焼豚麺と言う名の謎肉麺も消えました
ちくわはお勧めです、だけど山口県のアレとは比べないよう願います うちの母と弟君が防府の裕福な親戚の家に養子候補として預けられてたそうです
弟君(叔父)が大暴れして「こんな悪ガキはいらん」と突っ返されたそうな(^^;)
弟君はカナダでログハウスビルダーになって転売で大儲けして老後は帰国してゲストハウス建築して転売中w

娘へのアドバイスありがとうございます
確かにサラリーマンには向いてません
どちらかと言うとタラーでムーピン焼いてる方が似合ってるw
英語が自信満々なので、まあ、西洋人相手に商売するにも社会人としての基本がなってないので、ガチガチ鍛えてくれる先生に会えればいいなと、映画「プラダを着た悪魔」でも見せたいところです

転校生のオッパイは衝撃でした、あの一発で魂抜かれてしまいましたね
すごい17歳ですよ、キモが座ってます
させた大林監督はお亡くなりですが、彼の比類なきエモい画像は時空を超えて、老若男女に青春の甘酸っぱさを伝えてくれるはず
水野春朗の口調になりました

メンカームさんのお嬢さん いまだにスッポンポンで? すっごいナチュラルですね
うちの娘は自宅のベットを棄てられたそうで布団もないってんで、じゃあパパーとおねんねするか?と言うと
キモイ!!の一言で却下されました
こちらから願い下げだよー暑苦しいし(;'∀')
返信する
Unknown (muga)
2024-03-10 15:38:57
ハシビロコウさん、こんにちは~
「生きる」 あらすじだけ読みましたが興味あります どうもありがとうございます
子供がいなくなると心にポッカリ穴が開いたようになると聞きますが、ジャンボもいなくなって さて、どうなんだろうと夜中に目が覚めて眠れなくなりますね

林芙美子は47歳ですが「やり切った感」があれば早逝ではないでしょうね
他の人の芙美子評も読んでみましたが、婚約者は逃げたのでしょうか「未練に怒り、悲しみ、憎しみ」と書いてあります
それから貧困との闘いが始まって、今でいう所のフリーターで食い繋ぐような 様々な安請け合いで心が荒んでいった気もします なんだか共感あります(^-^;
引用すると{芙美子のそれからの暮らしぶりは「凄まじい」に尽きる。役者や詩人との同棲、別離を繰り返す中で襲いくる日々の極貧。その中で続く出版社への詩歌や童話の売り込みと古本屋通い。セルロイドの人形の色塗り女工、酒場で酔客をあしらう女給、休憩の合間にチエホフや哲学書まで読みふける芙美子、ただ者ではない}とあります
産まれも育ちもお嬢様なら そんな苦労せずとも良かったでしょうが
{日記は備忘録でなく、明らかに日々の思いを表現する手段、芙美子は天性の詩人だ。口をついて出る言葉が、そのまま詩歌になり得るのだ}ともあります
生きて苦労するうちに 感情のナニカがスパークして才能があふれ出たケースかもです

うちの娘も世間一般でいう生まれ育ち共に良くない部類ですから、まあ世間の荒波にもまれながら 自分の力で何とかするしかないでしょう どこかの穴にスポンと嵌ってくれたら助かります
瓦蕎麦は焼けてカチカチになった部分が香ばしくて美味しいです レモンを絞るとパッタイにも似てます 何かの弾みで関門海峡へ来られた時にはフグ刺しと一緒にどうぞ
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