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みなさま、ご機嫌いかがでしょうか。
秋山ヒカルです。
さっと近況を2つほど。
昨日まで卒業旅行でした。
とても楽しかったです。人と環境に恵まれ、この瞬間が永遠に続けばいいのに、まるっと全部私の手からこぼれ落ちないでと思っています。落ちて欲しいのは、私のお腹と顔のお肉です。完全に太りました。
次に、最近よく聞く曲紹介です。
“Through it all" by Charlie Puthです。
歌詞がグッときちゃうんです。
“I’ve been through it all.
You won't see me crying if tomorrow never comes.
God only knows… I‘ve been thought it all.”
(訳)全てを経験してきた。
明日が来なくても、涙は流さない。
神のみが知ってる、私がここまで経験したことを。
これが、卒業にぴったりだなーと思って。
この4年間楽しさだけじゃなくて、辛いことも大変なこともたくさんたくさんありました。
でも、それも乗り越えてきたり、上手く付き合い方を覚えたり。
痛みまでまるっと愛せるようになったり。
そうやって今の私があるってことだと拡大解釈して悦に浸っております。
近況終わり。
さて、本題。
このブログを書くにあたって、多くの出来事や人のことを考え、思いを馳せました。
いよいよ卒業なんですね。
とは言っても、卒業間近なのになぜか練習にも大会にもいる老害なんですけど。
では、私のラブリースマイリーベイビーな水泳ライフを貫太朗さんの要望通り「アツく」振り返りたいと思います。
面白い文章は、我らが主将に託します。
優介、頼んだよ。
ふざけ倒すのが私の美学なので、最後につまらない文章が並ぶことは悔しいのですが、悪しからず。
今回のブログは
(1)競泳人生の振り返り
(2)学べたこと
(3)最後に
という、サザエさんもびっくりな豪華3本立てでお送りします。とても長いです。ごめん。
まあこんなブログ書く機会はもうないので、自分の経歴も今の自分の気持ちを忘れないようにクラウド上に、デジタルタトゥーとして残してやります。
(1)競泳人生の振り返り
水泳経験は小学校2〜6年の3年間。
選手コースにはギリギリで行けないまま、中学受験のため辞めました。
プールもない中高一貫校に入学。
競泳とは縁遠い生活を送りました。
中学ではバレーを、高校では陸上を。
多趣味なのか、飽き性なのか、いろんな競技をやってきました。
高校の陸上は、楽しかったですが、同時に食事制限に苦しみました。
そんなこんなで大学に入学し、コロナで満足のいく部活生活を送れなかったのが悔しくて、何か部活に入ろうと決めました。
そして、同期の女の子の勧誘に負け、断れずに気づいたら水泳部に入部。
なんででしょうか。
当時50m自由形は39.9でした。千葉大学水泳部は様々なレベルの選手が揃っていますが、当時は今ほどではなく、初心者スイマーが歓迎されてはなかったはずです。しかも、私を誘った同期はすぐ退部し、他の同期も練習に来ず、1人で練習に来ていました。
辞めてやると何度も思いましたが、陸さん、ゆうさん、西子さんetc...などの先輩方が作る部の雰囲気が好きで、練習には行ってました。
夏は、コロナの影響で活動制限があり、カンカレも全国公もありませんでした。
大会もないからなんのために練習に行くのかわからなくなりそうで、もどかしかったです。
この一年頑張れてたら、またもう少し速くなれていたのでしょうか。
さて、2年生。
新歓で「頓所拓海」を獲得。
これだけは、後世に語り継いでいい私の功績な気がします。
そして、まだおとなしかったなつみや、未経験に近い航大など多くの後輩が入部してくれました。特に、大学から競泳にチャレンジしてくれる後輩ができたことが、本当に嬉しかったです。
夏には、初めて2コメで全国公に出場しました。
標準記録を突破した時、ゆきなさんが自分のことのように喜んでくれたのが嬉しかったを覚えてます。
「全国公」
1年前には考えられない景色が広がってました。
そして、ようやく競泳という舞台で戦うことを許されたようなそんな感覚がとても心地よかったです。
秋に、幹部代となってからは多忙を極めてました。副将に、女子主将に、大学祭に、葉泳会、新歓、諸々の雑務…。
起きてる時間はほとんど部活に関わる作業を行って、他の人間関係を疎かになりました。
幹部の仲も良いとは言えず、みんな目指す場所は同じなのに、立場による意見の違いもあって、組織運営の難しさも実感しました。
悪い流れはこの後も続きました。
冬は、大きな挫折を経験しました。
体に異常が見つかり、手術と通院を余儀なくされました。練習にも参加できなくなりました。
間違いなく、人生でどん底の時期でした。
両親をはじめ、周りにも心配をかけたくなくて、気丈に振る舞いました。
そうしているうちに、文字通り身も心もボロボロになっていきました。
自分のことなんか全て後回しにしてきたツケが回ってきたんです、きっと。
あの時もっと周りのことを考えられていたら…
自分のことを大切にできていたら…
人生が大きく変わっていたと思いますし、
あの時期にもっと頑張れていたら選手としてももっと速くなれてたはずです。
後悔しないように生きていても、こればっかりは本当にどうしようもなくて。
抱えきれないストレスを抱え込んだ結果、頭がパンクしていました。
同期や後輩、友人に当たってしまうことも多くて、人としても迷惑かけ、そんな不甲斐ない自分が嫌いになりそうでした。
ですが、責任感の強い性格から、なんとか気持ちの立て直しに成功し、部活に行けない時期もイギリス留学に行った時期も新歓の仕事をやり切りました。
「幹部として」心が引き締まったのはここからだと思います。
ずっと忙しかったのもここからですね笑
実はこの2年間は、毎朝4:30に起きて5:03発の電車に乗って、朝練して、授業を受けて、夜までバイトしてという生活でした。
遅刻癖があるので練習にはちょっと遅刻して怒られていましたが、今考えたらこんな化け物みたいなスケジュールをよくやり切ったと思います。
大学3年
幹部としての責任からか、練習以外の時間にも競泳のことを調べる時間が増えました。そした、練習毎に速くなっていく自分に驚きと嬉しさを覚えました。練習が楽しくて、特に、ずっと練習にいたなつみとしゅうとと郷田さんには特別な絆を感じてます。
夏は、2コメに続いて、2フリも標準を突破し、全国公2種目の出場を果たしました。
個人で出場した最後の全国公とはなりましたが、ここで大ベストを更新して一応幹部としての務めを果たした、そんな幹部の一年でした。
幹部引退をしても、全国公標準が11月に大幅に改訂されて以降は、ほぼ毎回行きました。
やはり全国公は特別で、最後の年も出場したいと思ったからです。
冬は合宿にも行き、きっっつい練習の後、夏海とすずかと温泉で人生のこと、部活のこと、恋愛トークなどを数時間もしゃべっていたのは懐かしい思い出です。
他大の女子選手の皆さんとも仲良くなれました。本当に今でも仲良くさせていただいているとても大好きな人たちです。
大学4年生
いよいよラストイヤーです。
かわいいガキ達が入学してきましたが、私は彼らにかまけてる暇はありません。
就活です。
本選考に40社近く出してしまったので、4月は就活も忙殺級のスケジュールでしたが、朝練はほぼ休みませんでした。
結果、出席ランキング1位、就活もなぜか無双。行きたい会社の内定もゲットしました。
失恋なんていう心労は忙しさで握り潰してやろうという稚拙な理由でしたけど、我ながらよくやったと思います。
夏は、1日2回、週5、6ある練習にほぼ参加し、新しいバイトもこなし、スケジュールも肌の色も真っ黒になるほど忙しく生活していました。
学業もやることがなく、幹部の仕事もない。責任から解き放たれ、夏はどの練習も大会もめちゃめちゃキツくて楽しかったです。タイムを追うことが、試合に出ることが、ようやく楽しくなっていました。
結果、チャレンジでは、全国公まで13秒という絶望のスタートから、6秒もベストを更新することができました。
それでも、全国公標準には届きませんでした。
初めて水泳で悔しくてめいっぱい泣きました。
そこまで頑張れてなかった訳じゃないけど、悔しくて涙が出るくらい頑張れた自分に嬉しくて。でも悔しくて。
これで割と燃え尽きました。
割とノリで全国公に出て、ウィンターに出てちゃっかりベスト更新して、ニューイヤーに出る。
そんな競泳人生でした。
冬季に出ます。(なんでなの)
まだ部活には行きますよ。
暖かく迎えてくださいね。
さてさて、こうして振り返ってみると反省ばかりです。頑張れない時があれば、頑張ってればよかった、ってなりますね。
悔しいけど、それ以上に「競泳」が「水泳部との思い出」が楽しかったです。
(2)学べたこと
さて第二章。水泳で学べたことです。
「後悔したくない」これが私の人生の根幹にあります。だから、そんな私が水泳部の中で学んだ3つのことを
後輩たちには教訓として、
私には備忘録として、
みなさまには私の頑張った証拠として、
残しておこうと思います。
①「後悔しないように」考え続けること
大学水泳の良さは、頭を使って泳ぐことができる点にあると思います。
がむしゃらに「量」をこなすんじゃなくて、大学の短い練習時間の中でいかに一回一回の「質」を高めていくのか。
特に、佳佑さんや康輔さん、拓海あたりには、ただサークルを回るんじゃなくて、常に頭を使って、意識して泳ぐことが大事なんだと気づかせてくれました。
いい意味で、根性だけで泳がなくなってから、タイムが伸びました。
やはり経験者には頭が上がりません。
時には嫌なことにも向き合わないとってことで、私は、大っっ嫌いなキックや、何やればいいかわからなかったドリルを考えながらできるようになりました。
練習がどんどん楽しくなって、タイムも安定するようになり、キックは2:20サークルも回れなかった私が、大4の夏には1:50サークルもギリギリ回れるようになりました。
今まで受動的に行動していたのを、自分から行動して考えてみると楽しく努力できるはずです。これは、水泳以外にもきっと通ずる教訓です。
ここで学べてよかったです。
② 「後悔しないように」全力で打ち込むこと
後輩には、4年間を通してやり切ったと誇れるものを一つ見つけて欲しいです。
それが競泳である必要はないと思います。バイトでも学業でもなんでも。
でも、振り返ってこれは頑張った!って思えるものがある4年間になりますように。
4年間なんてあっという間です。
いつまでも続くわけでもありません。
大学生活を振り返って胸を張ってできることを見つけてほしいです。
理由だって些細なものでいいんです。
いつもよりご飯を美味しく食べれるから部活に頑張る、気になるあの子も頑張ってる資格を取ってみるとか。
先輩としては入部するという選択をしたのであれば、それが「水泳部」であると嬉しいですけど、でも本当になんでもいいです。
自分がした選択に後悔に変わらないように頑張って欲しいんです。
自分の選択を間違えたかと疑った時が何度もありましたが、4年間で自分の選択を大肯定できるように打ち込めた気がします。
競泳は色んな意味で結果が全てだと思います。過程なんか関係ないです。練習に来ても来なくても、ベストが出ればそれでいいと思います。
でも、それでも、結果が出なかった時。振り返って欲しいんです。
練習を頑張れてたのか。
自分にできることはあったのか。
どんな結果でも納得できるような自分でいるにはどうすればいいのか。
それは、悔しいけど練習しかないです。
たった一回の練習、朝眠いし、めんどくさいし、サボっちゃう時もあります。
でも、毎日ちょこっとずつでも頑張れたら、 メニューごとに頭を使いながら泳げたら、
すべき努力をこなせたら、
言い訳なしで後悔なく、本気で悔しがれるかっこいい人になれるはずです。
私は、瞬間瞬間は必死に頑張っていたはずなのに、振り返るとまだやれたんじゃないかっていう想いが勝ってしまいました。
大学から本格的に水泳を始めた後輩たち。これから、始めようと思っている子達。ベストが出なくて悩んでる後輩。
今結果が伸びなくて辛くても、練習に怠けてしまってても、立ち止まらないで進んで欲しいんです。きっと、自己ベスト以上に得られるものがあります。
③「後悔しないように」感謝すること
これは、私と関わったすべての皆さんが教えてくれました。
この4年間、目の前のことに集中するあまり周りのことが見えなくなってしまう時もありました。
目の前にあるあたりまえではない感謝を忘れてしまう事もありました。
感謝はしているのに、上手く伝えられなくて、相手を傷つけてしまい、もどかしい時もありました。
それでも、多くの人に支えられたことへの感謝を忘れるはずがないですし、その気持ちはいくらあっても足りません。
まずは、同期。
お世辞にも仲がいいとは言えず、ビジネスパートナーという言葉が相応しい代でした。
それでも、幹部での1年、支えてくれたのは同期でした。
相談事にすぐ乗ってくれるはるか、主将として引っ張ってくれたゆうすけを始め、なぎさ、かんたろう、そうた、さとし、ちから、だいすけさんみんなに感謝しています。
本当にありがとう。
そして、先輩方。
何度も何度もやめようと思った時も相談に乗ってくれた先輩、落ち込んでる時に声をかけてくれた先輩、とにかく部に来て盛り上げてくれる先輩。
いろんな先輩方に支えられました。
本当にありがとうございました。
これからもずっと仲良くさせてください。
そして、後輩。
私が引っ張ってきた入部してくれた拓海さん。根性のなつみをはじめとした3年生、2年生、ガキたち。こんなにも楽しく頑張れたのはみんなのおかげです。ありがとう!
そして、活動を支えてくれた葉泳会のみなさん、大会の度にお互いの刺激になれた他大の選手の方々、他にもたくさんの方々に支えられてここまで来れました。
最後に、何も言わずに私の部活生活を認めてくれて応援してくれた両親。本当にありがとう。
いつも言えないので、ここで。
③最後に。
私は、拓海やさきみたいにインカレに出たり、東部で結果を残せるようなエースでもないです。
泳力としては、結局役に立てない部員のままで終わってしまいました。
でも、一つだけ。
私の中で、誇れるものがあります。
それは、練習に誰よりも行ったことです。
この4年間は同期の誰よりも「競泳」に「水泳部」に向き合いました。
そして、選手として、人として、誰よりも成長できた自信があります。
どんな泳力でも立場でも下を向かずに練習や部活に向かう姿勢が、
誰かの刺激に、モチベーションになっていてほしいなと思ってました。
そして、この姿勢こそ、この部活に、平凡な私に残せたものな気がします。
偉そうにすみません。
初心者からインカレスイマーまでが共存しているのにこれほどまでに切磋琢磨できる部活はそうないです。
千葉大学水泳部がこれからも末長く活躍することを願って、おいとまします。
今後、「競泳」にこれほどまで真剣に取り組む予定はありません。それほどまでこの4年間が尊くて、かけがけないのないものだったからです。
それでも、私は何かに向かって頑張り続けたいと思います。自己肯定感が低く、努力し続けない自分がどうしても好きになれないタイプなのです。
ですから、また何かのスポーツや趣味に忙しくすることで自分をかろうじて肯定しながら生きていこうと思います。
これからも、何かに、頑張り続けるみなさんを、本当に応援してます。
はーーーー
卒業論文を4万字以上書いただけあって、ダラダラ長くなってしまいました。
でも、これが私の4年間のすべてです。
本当にありがとうございました。
またどこかで。
では。さようなら。
秋山ヒカル
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