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知花ときわ会

知花地域の活動と各地の情報を広く紹介し、情報共有することで地域活性化に繋げようと、このブログを開設しました。

知花ときわ会華やかに演舞披露する~第42回演芸の集い開催~

2016年12月03日 | ★歴史・伝統・文化

11月27日知花ときわ会恒例の「第42回演芸の集い」が公民館ホールにて華やかに行われた。高齢者の仲間づくりと健康づくりを目的に数か月前から練習に励んできた成果を披露し会場から喝さいを浴びた。

当日は雨にもかかわらず会場には他の方々が趣向を凝らした演舞を鑑賞しようと多く駆け付けた。今回の特徴は男性陣の演目、長老による知花オリジナルの「仲里節」(6名合計530歳)と寸劇オペレッタの「夜半参」、朗読劇「吾輩は猫である」のウチナーグチバージョン、戻り駕籠など14演目が踊られた。
 
 ▲花笠踊り                   ▲浜千鳥

 
▲夜半参                      ▲国頭サバクイ

 
▲戻り駕籠                    ▲盛り上がった会場風景

 

 

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伝統芸能知花のウスデーク開催

2016年09月18日 | ★歴史・伝統・文化

知花の伝統行事であるウスデークが平成28年9月15日開催された。仲大屋で獅子舞いが行われ、その後、獅子を先頭に仲大屋から知花公民館まで道じゅねーし公民館ホールにてウスデークの歌と踊りが行われた。











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平成27年度知花自治会伝統行事一覧

2015年05月30日 | ★歴史・伝統・文化

4月12日 清明祭

6月  1日 アブシバレー (旧4月15日)
   28日 ウタカビ祈願 (旧5月13日)
   29日 ウムイの練習 (旧5月14日)
   30日 5月ウマチー祈願 (旧5月15日)  ※神酒作り

7月30日 6月ウマチー祈願 (旧6月15日)

8月  9日 後アシビー (旧6月25日)
   20日 七夕・旗スガシー (旧7月7日)

9月26日 カーメー「井泉参り」 (旧8月14日)
   27日  ウスデーク(臼太鼓)・獅子舞 (旧8月15日)

10月19日 カジマヤー祝い (旧9月7日)

2月     チナマ祈願「ウガンブトチー」 (旧12月24日)     

 

 

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知花のお年寄りパワー全開 ! 知花ときわ会第40回演芸の集い開催

2014年12月03日 | ★歴史・伝統・文化

11月23日、知花ときわ会(会長/浦崎清子)恒例の「演芸の集い」が知花公民館ホールで開催された。今回で第40回の開催となり、昭和48年(1973年)に第1回開催後、その間、公民館改修工事で1回のみが開催できなかったとの事。数か月前から練習を行い一人で数回演舞する方もおりハードスケジュールを見事成し遂げる様子に観客からは大きな拍手が送られた。

さて、同集いは地元の古典音楽同行会の皆さん14名による幕開けに始まり、14演舞が行われた。今回の特色は同会若手委員の知花朝盛さんが数か月前から和太鼓の指導を行い会員8名による「遊び庭」を演舞、長老方による「八重山帰り」の寸劇では大きな笑いが、フィナーレの「四ない三とる」はカチャーシーとは違った雰囲気を醸し出したのが特に印象に残った。和太鼓については市老人クラブ連合会「演芸の集い」にも参加を予定しており、更に練習を重ね披露される予定。

この演芸の集いは知花で戦前から戦後間もない頃まで開催されていた「村芝居」の様相を呈するものとなっている。今回は、当時の「村芝居」のプログラムを紹介し演目、演舞者などからも知花が昔から芸能が盛んであったことが伺える。

▲古典音楽同好会の皆さんよる幕開け



1947年(昭和22年)当時の「村芝居」プログラム


▲初披露となった和太鼓演舞「遊び庭」 

▲長老メンバーよる寸劇「八重山帰り」

▲フィナーレ演舞となった「四ない三とる」

 
▲区民を始め他地域からも応援に駆け付けて賑わった会場風景

 

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知花のウフデーク

2013年10月09日 | ★歴史・伝統・文化

新聞記事より臼太鼓(ウスデーク/ウシデーク/ウフデーク)の紹介

                            








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知花エイサー

2013年03月26日 | ★歴史・伝統・文化

知花エイサーの戦前と戦後について解説しています。

●戦前のエイサー         

明治時代にはすでに知花にはエイサーが存在していた。いつ発祥したのかは不明。明治時代から男女とも参加していて、組織は青年会で構成されていた。青年会には、それぞれの最終学年を卒業した時点で加入した。引退は男が25歳まで、女は特に決まっていない、だいたい結婚すると引退した。

エイサーの指導は先輩が後輩を指導するという形で、特に決まりはない。明治時代の青年会の参加者は50名ぐらいで、その中に女性が20名ぐらいを占めていた。明治時代には知花は地域をメーンダカリ、シリンダカリと2つの地域に分けていた。

それぞれの地区に分かれてエイサー、綱引きが行われていた。同じ知花でも張り合う気持ちがあり、エイサーの練習はお互いわからないように隠れて行った。戦前は、大太鼓はなく、8つの締太鼓を使っていて、残りは手踊りで参加した。衣裳は特に決まっておらず、各自が持っている一番上等な服を着た。


エイサーの目的は、お盆の霊を見送ることと邪鬼払いをすることで、知花中の全ての家を廻った。各家からの寄付は主にお酒で、エイサーが終わった後に、知花区民が1~2合のお酒を持ち寄って、エイサー酒として飲み会を開いてみんなにふるまった。大正時代からは知花という地域を二分することは無くなり、エイサーも知花全体の青年会として行った。

●戦後のエイサー      
 
 エイサーは戦争のために一時期中断しており、戦後は舞台で芸能を披露する村遊びを行っていた。エイサーが復活したのは1955(昭和30)年ごろで、38名の青年会員で行った。当時はものがそんなに豊富ではなく・大太鼓は公民館が区民にいろいろ知らせるために使っていたものを借りて使用した。

戦後復活したエイサーは、昔エイサーをやっていた人達から習い、わからない所は、青年会で工夫して作った。地謡は現役の青年会員ではなく、引退した人のうち三味線の上手い人、10名ぐらいにたのんだ。男は締太鼓から習い始める。大太鼓への役の昇格は総会で決めていたが、事前に役員などからあいつにやらせようと裏で手回しなどをしていた。戦後、復活当初は、集落内の全ての家を廻っていたが、現在は全ての家々でエイサーを踊ることは難しくなっている。知花にはヌンドゥンチがあり、先輩方からそこでは絶対に踊るように言われている。知花のエイサーは戦後復活した当時とほとんど踊りは変わっていない。

基本の隊列は男女それぞれ二列ずつで、場所に応じて踊りやすいように変えている。男の衣裳は青年会の所有物で、女子の着物、手ぬぐい、扇子、四ツ竹は、すべて個人の物。今では手踊りはほとんど女子だけで踊っているが、太鼓の数が足りないときは男も手踊りに加わる。太鼓は飛び跳ねたりするので、疲れるからと、手踊りはベテランがやりたがる.現在の知花の青年会はきちんとした組織にはなっていない。

加入、引退の決まりは特になく、エイサーにあこがれた者が、高校生になると加入する。引退は参加することが難しくなったときで、結婚などが主な原因である。結婚すると毎日夜中まで練習することは難しくなるので自然と来られなくなるが、振り付けは覚えているので当日だけ参加するという人もいる。そのため、青年会の人数名簿にあるが、それでは正確な人数は把握できない。

演技の指導は主に青年会長などの役員が行う。今は4~5名のチョンダラー(滑稽役)がいるが、昔からいるわけではなく、1983(昭和58)年から登場。チョンダラーになるには、その人のキャラクターが重要で、これは練習で得られる者ではなく天性のものが必要。しかし、それだけでチョンダラーにはなれず、ある程度全体を把握する能力、全ての曲を踊れることなどが要求されるため、いくら良いキャラクターを持っていても新人では無理。彼らは、いろいろな雑用も兼ねている。

昭和35年以前の曲目

1.エンサー節 2.久高マンジュー主 3. 4.スーリアガリ 5.今帰仁節 6.テンヨウ 6.海ヌチンボーラ節 

昭和35年以前の曲目

1.稲シリ節 2.イチュビグヮー節 3.谷茶前 が追加された。

昭和48年地謡交代時の曲目

1.唐船どーい 2.七月七夕 3.久高節 4.スーリアガリ 5.テンヨウ 6.谷茶前 7.海ぬチンボーラ 8.あやぐ 9.唐船どーい

2022年時の曲目

1.仲順流れ 2.久高節 3.スーリアガリ 4.テンヨウ 5.いちゅび小節 *太鼓チリー(カリー) 6.海ぬチンボーラ 7.谷茶前 8.あやぐ 

9.唐船どーい

 


                             2012年知花青年会エイサー映像

▲2006年8月現在のエイサー




知花エイサーは戦後復活してから途絶えずに続けてはいるが、女性人数の減少、組織の弱体化など不安な面が見られる。知花は伝統行事を区で守っている所なので、ずっとエイサーを続けていってほしい。                            <参考資料:エイサー360度より>

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第31回全島エイサーまつり初出演記録

2013年03月26日 | ★歴史・伝統・文化

知花青年会全島エイサーまつり出演記録を紹介いたします。昭和61年当時、平田嗣篤青年会長
≪琉球新報記事抜粋≫








 
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歌劇や踊りを40人で披露

2012年12月03日 | ★歴史・伝統・文化

知花老人クラブ(会長 浦崎清子)は知花公民館において会員親睦と事業収入の一環で行われる「第38回知花老人クラブ演芸の集い」を開催した。会場には約200人余の観客が区内外から集い無事成功裏に終了した。

 老人クラブからは総勢32名が踊り一人で3回踊る人もいた。幕開けの「かぎやで風」に始まり「むとぅぬ若さ」「浜千鳥」「秋の踊り」「くば笠小」「みるく節」などの15演目が披露された。中でも今回は、先に国の伝統工芸に指定された「知花花織」を身にまとい踊られる「ウスデーク」、こっけいに踊られる「馬山川」には会場から盛んな拍手が送られた。

 ▲美里知花

また、昨年に引き続き56年ぶりに復活を遂げた知花にしかない伝統芸能である「美里知花(んどゃとぅちばな)」が知花子ども会によって披露される等すばらしい演芸の集いとなった。

終了後の反省会では、田島政信知花自治会長から「こんなにお年寄りがいる中で数多く演舞し、素人ながらも、こんなにはっきり演技を間違えた踊りも珍しい!、しかも堂々と表情を何一つ変えなかった演舞者には、とても感心しました」との好評が述べられると大きな笑いがあり、微笑ましい反省会となった。
又、長老からは会場の2階まで高齢の方々が何度も階段を昇り降りをするため、外階段に手すりを設置して欲しいと、しっかり要請する場面もあった。 
     ▲知花花織をまとい踊られ                                                  ▲踊りくはでさ 

★プログラム

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「美里知花」と「村芝居」の経緯

2012年11月21日 | ★歴史・伝統・文化

 【経緯】
戦前から知花村には数年おきに「村芝居」が行われ、これは青年会が中心となって運営されていた。その運営費は当時のB円で8,000円(1947年頃の給料180円~200円)であった。1956年当時の「村芝居」に出演した方々に聞き取りを行う中で、その1演目に「美里(んじゃとう)知花(ちばな)」という知花にしかない踊りがあることがわかった。「美里知花」の語句の意味合いは美里間切りの知花の踊りとの事。
 これは、青年会入りたての村の若者6人~8人の男子が踊り、同じ人が2回踊ることはなかったという。この踊りを踊った村のお年寄りは現在、お二方しかいらっしゃらない事がわかり、56年ぶりの伝統芸能復活に向けて、子ども会世話役が中心となって動き出した。

 
「美里知花」の特徴

踊りは6人~8人で、村の若い青年が踊り、小さい棒(チーグーシー)を使ったゼイ踊りだという。「スリ !スリ !スリ ! サーサー !」の掛け声とともに足を高く蹴り上げ、カマキリのように棒を振り回し、一回転するなど短い曲ながらも激しい踊りである。

衣装は? 白い長そでYシャツ、長ズボン、脚ハン(白黒模様)、腰帯、赤タスキ、前結び白ハチマキの軽装姿に裸足で踊った。

曲や作詞者は? 原曲は八重山(西表島)民謡の「マルマ盆山節」との事であり、八重山民謡が沖縄本島へ渡り古典の「タヌムジュー節」となり、各地の民謡に編曲されっていったと推察される。「美里知花」の作詞者は不明(詠み人知らず)で、当時、1番、2番までしかなく、短い踊りであった。平成14年に字のお年寄りが短いため3番、4番を作詞し付け加えた経緯がある。

 

 参考資料

西表島
現在、祝舞として歓迎会やお祝いの席で踊られるおめでたい唄である「マルマ盆山節」。年の変わり目を祝う行事「節祭(シチ)」のメインである「ユークイ(お正月)」で踊られる奉納舞踊でもあります。

 「マルマ盆山」 
唄三線:那根操さん
 「マルマ盆山」島唄連載『恋ししまうたの風』第18回西表島

 まるまぼんさん節(西表島)練習風景1
西表島「まるまぼんさん」舞踊

まるまぼんさん節(西表島)練習風景2
西表島「まるまぼんさん」子どもたちの太鼓と踊り付き

村芝居の経緯

【戦前】

戦前知花部落は大変組踊りが盛んで、当時、公民館を中心)、
メーグミ(東・前組)、クシグミ(西・後組)に分かれて、何かにつけて、双方で競争しあった。組踊り、村芝居、7月エイサー等を競っていた。
「村芝居」は毎年実施するというよりも、何となく青年、成人がアシビナー(公民館広場)で話をする中で声掛けを行い
賛同する人が多いと実施するということであった。

「村芝居」は3年に1回程度の割合で開催され、その年は豊作になることが多く、7月から約3カ月程度練習が行われ、午前中は畑仕事をし、午後2時頃から、部落の古老によって口伝えで教えられた
「村芝居」の出場者は、14歳位から46歳の男子と制限されており、部落でも出演を希望する男子は沢山おり、部落の有志の方々が40人余に厳選した。


「村芝居」は9月の1日・2日行われた後、5日・7日・9日と奇数の日を9回にわたって、屋根もないあしびなーで行われた。
「村芝居」をやろうと言い出した人は根屋(ニーヤー)にお願いをして「村芝居」を上演することを報告した。報告をすると、どんなことがあっても実施しなければならず、それを怠ると神のたたりがあると言われていたという。

村芝居の衣装は部落負担で毎年大事に保管され、開催時期になると他部落からも見物客が大勢訪れた。組踊り等を他部落
から要請され出演した際は、その報酬として酒1升、重箱30個を貰った。その時の出し物は弁慶、牛若丸、久志の若按司、
森川の子(
森川の縁)、クラファ(蔵波)などであった。

当時は部落中の人が村芝居を楽しみにしていたので、畑仕事がおろそかになっても、部落の繁栄になるということで、両親からも激励されていた。楽しみであった村芝居も戦後になってからは、途絶えてしまい淋しくなったことを覚えています。私は17歳から24歳まで村芝居をやっていた。

参考資料
「農業と生活」 -池原・登川・知花- より抜粋(一部追記あり)
(沖縄県中部農業改良普及所発行/昭和58年3月発刊)の第6章「私の生活誌」 池原長善(当時90歳)1893年(明治26年)生まれ


【戦後】

戦後に入り村芝居は1953年~1956年までは毎年村芝居が実施されており、きっかけは戦争で公民館(村屋)が壊され、現在の美里中学校は軍用地であり、そこからコンセット(かまぼこ型)を兼本商店の横(広場)に移動し、仮公民館のお祝いを行った。そのお祝いと称して、現在の屋号・次男城間の場所(広場)にて戦後、第1回目の村芝居を行われた。

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伝統行事ウスデークが注目される!

2012年11月21日 | ★歴史・伝統・文化

知花区の伝統行事である「ウスデーク」が9月30日に村の仲大屋の庭にて御願儀式が行われ、獅子を先頭に村のお年寄りの女性たちが、道じゅねーを行った。その後、公民館ホールで獅子舞の後、獅子を囲んでお年寄りたちが、国の伝統工芸に指定された、知花花織の着物をはおり、昔から継承されたウスデークの歌と舞が行われた。今回は「知花花織」が注目を浴びていることもあり、多くの観客とマスコミの方々が集まる中、約2時間の伝統芸能が披露された。

沖縄市広報(12月号)
    ↓
http://www02.bbc.city.okinawa.okinawa.jp/kouhou/H24/12/index.html


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十五夜に獅子舞、ウスデーク行われる

2011年10月08日 | ★歴史・伝統・文化

知花に300-400年前から伝わるといわれるウスデークと獅子舞がが9月12日午後行われた。同行事は五穀豊穣(ほうじょう)を願い、毎年旧暦の8月15日に行われる。村の婦人やお年寄りの女性たちが仲大屋(ナーカウフヤ)に納められている獅子を出し、自治会会長がお酒などでセレモニーが行われた後、公民館まで道じゅねーが行われる。獅子舞は青年会が担当し、公民館で踊った後は、村の商店などを練り歩きお酒などがふるまわれる。

 
                                     ▲公民館までの道じゅねー

 

 

  

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55年ぶりの伝統芸能復活に向けて動き出す!

2011年07月28日 | ★歴史・伝統・文化


大正5年の琉球新報記事に「知花は村芝居の盛んな地区であった」と記事が掲載されいるように村の芸能が盛んな
地域であり、これは知花老人クラブが毎年開催している「演芸の集い」が
第37回目となることからもそのことが伺える。

さて、戦後復興間もない1956年までは、知花区では青年会が中心となって「村芝居」が開催されており踊り、劇など

が継承され披露されていた。その当時のB円で8,000円という運営費の捻出に関係者は苦慮していた。
 
 あるとき、屋慶名青年会が知花にエイサー披露で訪れ、寄付金を募っていくところを見て、当時の青年会役員らは、
今後は「村芝居」をエイサーに切り替えて実施する旨の提案を行った。一部反対意見もあったというが、その提案が
承認され、現在の旧盆に行われているエイサーとなっている経緯がある。

その1956年まで実施されていた「村芝居」の演目の一つに知花にしかない踊り「美里知花」(んじゃとぅちばな)
あり、これは村の若い青年が6名~8名で踊り、「スリ ! スリ ! スリ ! サーサー !」の掛け声と併せて足を大きく蹴り
上げる男踊りのゼイ(小さな棒を使った踊り)踊りだと言う。

この踊りは青年会に入りたての若者
によって1回のみ踊られ、同じ人が2回踊ることはなかったという。
同年を最後に踊った人は現在の知花には2人(76歳)のみで、同踊りの継承が急務となっている。

平成23年、年明けに子ども会世話役が中心となって、復活に向けて何回か協議が行われ、子ども会世話役が字のお年
寄りから習い、復活に向けて動き出した。

7月15日関係者が集い、55年振りの伝統芸能復活に向けて下記日程で開催までの練習を行うことで話し合った。

開催時期:平成23年11月27日(日) (予定)

場所:知花公民館ホール

演舞イベント名:「第37回演芸の集い」(主催/知花老人クラブ)にて特別出演(予定)

練習日/毎週木曜日 19:00~

練習場所/知花公民館学習室

内容/「美里知花」踊り、三線

☆尚、今年度の目標は「美里知花」の復活し、踊り、三線、衣装の準備を行い、今後は青年会が中心となって同踊りを継承する
ことで活動が始まっている。披露する場は
�知花老人クラブ演芸の集いにオブサーバー参加。
�自治会が(仮称)
「村芝居」
実行委員会を立ち上げ節目の年に「村芝居」を開催する。
などの提案が出されている。


三線練習風景(H23.7.15)





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1947年当時の「知花部落村芝居プログラム」

2011年07月24日 | ★歴史・伝統・文化

1947年(昭和22年)当時の「村芝居」プログラム

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「美里知花」伝統芸能復活練習開始 !

2011年07月20日 | ★歴史・伝統・文化

子ども会世話役がきっかけとなり、伝統芸能「美里知花」の練習が始まった。各々役割分担を下記の通り話し合い
いよいよスタートした。

踊り及び曲指導者:金城武雄さん(76歳)
支援者:大宜見良子さん
演舞者:世話役池原秀樹、栄野比和光、知花朝盛、池原秀幸
      高校生兼島大吾、嶺井翔太、呉屋智一、玉那覇功也、與那善一
三線:兼本康輝、中村 さとし、中村 翔
唄、演舞支援者:大宜見良子、池原トミ子、
情報提供知花字誌編集委員(中村良男、島袋重治、金城誠心、屋比久幸徳)
      中村祐幸、兼島清仁、金城武雄、大宜見良子、島袋和盛、


1956年以降村芝居が途絶え、その後、披露されることのなかった「美里知花」の練習が7月15日から始まった。
現在、同踊りを踊った人は金城武雄さん(76歳)と池原秀芳(76歳)2名のみとなっている。金城武雄さんは55年前に
1度しか踊っていないこの踊りと曲を記憶たどりながら指導する様子に関係者は驚いた。


金城武雄さんい曰く「まるで若い頃に戻った気持ちだ」と笑顔で語りながら踊り始めた。途中、記憶が途切れながらも、足腰もしっかりした、その姿に当時の若者が練習している風景を思い浮かべながら、練習をした。




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知花ウスデークが行なわれる

2007年10月07日 | ★歴史・伝統・文化

知花区伝統行事「ウスデーク」が9月25日(旧8月15日)に行なわれ、当日は午前10時に知花城のふもとにある、ノロ殿内にて十五夜「ウスデーク」の安全祈願が行なわれ、午後3時には仲大屋にて自治会長が獅子に盃を振る舞い、ウスデークの太鼓手拍子で、獅子が左周りに7回回り、公民館まで「道ジュネー」を行なった。

公民館においては、「知花花織」の衣装を着た村のお年寄りがウスデークの演舞を披露しました。






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