12月14日、知花歴史ロマンを巡る散策が知花ときわ会・知花自治会共催のもと行われた。今回で2回目となる同歴史散策は市内外からも関心があり多くの方々が知花の歴史を散策しながら地元の方々と交流しながら学んだ。
講師には沖縄市立郷土博物館、縄田雅重学芸員が担当し武将、鬼大城(大城賢雄)が越来グスクから逃げたであろうルートを歩きながら途中、仲大屋、知花グスク、カンサジヤー、鬼大城の墓、知花焼古窯跡、メーヌカーガー橋などを散策した。
鬼大城の墓では同武将が活躍した時代背景をイラスト入り相関図を用いて分かりやすく解説すると参加者からも質問が相次ぎ関心の高さが伺えた。
また、知花グスクは地層的にも北部と中南部を区分する断層上にあるため地質学や植物学的にも重要な地域であるとのこと。
道中、今回参加者への朗報として先に開催された写真展後にアメリカ移民した方からの戦後すぐの知花の風景(茅葺つくりの家々)写真提供があり、その現場にて初披露されると驚きの声が上がった。
同写真については来年、ちばなクリニック1Fギャラリーにて開催公開予定。(2024年2月18日~3月3日)
鬼大城が越来グスクより逃げたであろうルートを歩く参加者
仲大屋&神屋にての説明(ウフデーク、獅子舞が奉納される場所)
知花グスク麓のカンサジヤー前での風景
知花に所在する松本の拝所である上ヌ殿毛。同拝所は『由来記』に記される「石城之殿」だと考えられる。(市指定文化財)
祝女が集い周辺の御嶽な遥拝するミーヤー御嶽(モーヤマ御嶽)。 チナマチ御願の一つ
鬼大城(大城賢雄)の時代背景をイラスト相関図で説明する縄田学芸員 (市指定文化財)
沖縄の古窯で知られる知花焼古窯跡付近(壺屋の先という地名が残る)
1907年(明治40年)頃造られた橋で、以前は三連橋であったが現在は左端の一つのみ残るメーヌカーガー橋