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知花ときわ会

知花地域の活動と各地の情報を広く紹介し、情報共有することで地域活性化に繋げようと、このブログを開設しました。

フクマガー (井泉3)

2006年03月24日 | ★文化財

字知花後原、知花グスクの東方50メートル、農道沿いにある。自然に涌き出ていた泉で、この辺に「ウフンダカリ」村があった時から戦後まで使用されたが水質は余り良くなかった。もともと石積みてであったが、昭和18年金城徳さんが区長時代に井戸(チンガー)にした。その後、再度昭和62年9月3日改築した。旧暦の8月14日の行事で拝んでいた。

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カーグワー (井泉4)

2006年03月24日 | ★文化財

字知花後原、知花グスクの南西、ウフガーラとワタンジャーガーラとの合流地点近くにある。隣接して県企業局のポンプ場がある。もとは松本村(大村渠村)のウブガーであったが、松本が現在地に移動して以後は知花の村人が使用したので、現在では知花が拝所として整備し拝んでいる。かつては石畳、石積みのきれいなカーであった。ニーガンヌールが仕立てた井戸であるため「ニーガンウカー」とか「イカンガー」とも呼ばれている。旧暦の8月14日の行事に拝んでいた。カーグワ―は県の河川改修工事のため、土手の下に埋没したので拝所の位置は少し変更されている。

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ナーカントーイジュンガー (井泉5)

2006年03月24日 | ★文化財

字知花後原、当山のシチャヌカーともいい、知花高橋の下流およそ100メ-トル、屋号、当山の後ろあたりにある。石積みはなく、ウフガーラの土手の下から湧いていたが、川の水が混入するので飲み水には利用されず、クディングワが着物を洗濯した場所と言われている。旧暦の8月14日の行事で拝んでいた。現在は、拝所としての整備も不充分で、川の土手に四角の水タンクを置いただけの拝所となっており、進入路も雑草がはびこって入りにくい。

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シチャウジュンガー (井泉6)

2006年03月24日 | ★文化財

字知花当原、メーヌカーガー橋の西方約100メートル、新しいシチャウジュンガー橋のすぐ下流にある。背後はゴーチと呼ばれる風水山であった。知花で一番立派な石積みの泉で、水量水質共に優れ、戦前から戦後にかけて最も多くの人々が利用された。お正月の若水もほとんどがこのカーの水を使用した家庭が多かった。このカーは1960年(昭和35年)から平成6年まで、知花・松本両部落の簡易水道の水源地として永く使用され、大かんばつにも水がかれることなく乗り切ることができたありがたいカーであった。旧暦の8月14日の行事で拝んでいた。平成6年9月、現在のように拝所として立派に整備された。

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メーヌカーガー (井泉7)

2006年03月24日 | ★文化財

字知花原、メーヌカーガー橋に隣接、川の東側にあった。

このカーも石積の立派なカーで比較的水量水質とも良く、付近の多くの人々に利用された。ところが河川工事で川筋が変更され埋没してしまった。そのため、現在ではマンホールのような形だけの拝所となり整備は不十分である。すぐ近くのメーヌカーガー橋はこの辺ではめずらしい立派な三連橋(三重橋)で、屋号西り兼島の島袋三郎氏が美里村長時代の明治の終わり頃に造られたという。現在では一番東側の大きいアーチ橋だけが残って、あとの二つは埋め立てられて宅地造成され跡形もなくなってしまい、かえすがえすも残念至極である。沖縄市の文化財としてしてされた「カフンジヤー橋」より少し古く、しかも構造的にもかえって勝るとも劣らないと思われるからである。

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知花古島のカー (井泉8)

2006年03月24日 | ★文化財

知花ムラの古島である福地原(現倉敷ダム付近)には知花の祖先の人たちが利用し、大変恩恵をこうむったカーとして「ガマンメーヌカー」と「カディカルガー」のニか所があった。や門中のカーメーには現地まで行って拝むことは容易でないので、やむを得ず知花グスクの神アサギ付近からウトゥシ(遥拝)しているのが現状である。

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ハルタジガー(イーヌカー) (井泉9)

2006年03月24日 | ★文化財

字知花当原、知花高橋の上流約100メートル、屋号新仲元の川向こうにあった。
部落の上にあるので「イーヌカー」とも呼んでいる。カーは昔、立派な石積みで水量や水質も比較的に良く、最近までかなり利用された。現在は県による河川改修工事のため埋没消失し、その補償として平成3年9月、近くの土手の上に移動して拝所として整備されている。池武当の村びともこの井戸を利用していた。旧歴8月14日の行事で拝まれていた。

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ウフガーラヌカー (井泉10)

2006年03月24日 | ★文化財

字知花当原、知花高橋の下流約30メートル、川の西岸にあった。以前は立派な石積みの大きな泉であったが、現在では土砂が埋まり位置の確認さえ難しい。従って拝所としての整備もなされていない。水量は豊富であったが、大雨になって水かさが増すと川の水が混入することが多かったため利用者は少なかった。

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シーシヤー

2006年03月18日 | ★文化財
仲大屋(ナーカウフヤ)の東隣りに建てられウフデーク(ウスデーク・臼太鼓)の時には旗頭と獅子舞の踊りが奉納され、獅子舞たちは知花公民館(アシビナー跡)へ向かって出発する。(昭和55年6月完成。村神屋の移設分祀(ブンシ)
 


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祝女墓

2006年03月18日 | ★文化財
鬼大城の墓の東側に位置する。村人は「ヌールバカ」と呼んでる。岩陰を利用して前面を石積みにし、墓口をアーチ工法にしている。墓の形式は、名嘉真好史宜勝分類のいわゆる「岩穴囲い込み墓」である。ある葬式の時にヌールバカへ入った村人は、約30基の蔵骨器を見たという。
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鬼大城の墓 【市指定文化財】

2006年03月18日 | ★文化財
知花グスクの南側の丘陵地に位置する。大城賢雄は大柄で武勇にすぐれ、俗に鬼大城と呼ばれた。1458年、首里王府軍の総大将として勝連按司の阿麻和利を討伐し、その功績で越来間切の総地頭に命ぜられた。その後の政変で第一尚氏王統は滅び、鬼大城も知花グ
スクに追われ自害した。墓の形式は、名嘉真宜勝分類のいわゆ「岩穴囲い込み墓」である。【市指定文化財】
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カンサヂヤー(神アサギ)

2006年03月02日 | ★文化財
知花グシクの北側に位置する。この広場は旧暦の5月15日と6月15日の行事に知花の古島へ遥拝するために拝まれる。その行事に参加する集落は、池原・登川。知花・松本である。現在の建物になる前は、かやぶきであった。かやぶき以前には建物がなく、祭りの際にクロツグの葉などで仮小屋が造られた。



 
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知花グスク

2006年03月02日 | ★文化財
知花十字路より北西へ300m行った地点にある。地元では「チバナグシク」と呼ぶ。標高87mのカルスト残丘地形をグスクとして利用している。付近はうるま市天願と北谷町砂辺を結んだ天顔構造線上にあり、沖縄本島北部と南部の植生が混在して見られる。
 
グスクの頂上は平坦地となっており、現在は展望台が建っている。その東側は一段下がって平坦地となり、遺物が表採できる。知花グスクの城主が誰であったかという記述が見られず、明確な石積みの痕跡も確認されていない。勝運グスクの阿麻和利を破った鬼大城が、この地で自害したという伝承があるのみである。鬼大城の墓は南側の崖中腹にある。



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メーヌカーガー橋

2006年03月01日 | ★文化財
下泉川橋の南側に位置する三連橋(三重橋)である。すぐ近くにはメーヌカーガーがあり、屋号・西リ兼島の島袋三郎氏が美里村長時代の明治の終わりごろに造られたという。現在は一番東側の大きいアーチ橋だけが残っており、あと二つは埋め立てられて宅地造成され跡形もなくなってしまい残念である。沖縄市の文化財として指定された「カフンジャー橋」より古く、しかも構造的にもかえって勝るとも劣らないと思われる。この石橋は美里のカフンジヤー橋や県内の石橋と比較する上で興味深い。

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忠魂碑 【市指定文化財】

2006年03月01日 | ★文化財

美里児童園(美里尋常高等小学校跡地)の一角に位置する。忠魂碑は国のために戦争で犠牲となった兵士の魂を供養する意味で全国各地の学校や役場の敷地内建てられた。県内において奉安殿と共に保存されている事例は沖縄市だけであり、平和を考える上でもきわめて貴重な文化財である。
【市指定文化財】


<2020.6.11琉球新報記事抜粋>

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