字知花後原、当山のシチャヌカーともいい、知花高橋の下流およそ100メ-トル、屋号、当山の後ろあたりにある。石積みはなく、ウフガーラの土手の下から湧いていたが、川の水が混入するので飲み水には利用されず、クディングワが着物を洗濯した場所と言われている。旧暦の8月14日の行事で拝んでいた。現在は、拝所としての整備も不充分で、川の土手に四角の水タンクを置いただけの拝所となっており、進入路も雑草がはびこって入りにくい。
字知花原、メーヌカーガー橋に隣接、川の東側にあった。
このカーも石積の立派なカーで比較的水量水質とも良く、付近の多くの人々に利用された。ところが河川工事で川筋が変更され埋没してしまった。そのため、現在ではマンホールのような形だけの拝所となり整備は不十分である。すぐ近くのメーヌカーガー橋はこの辺ではめずらしい立派な三連橋(三重橋)で、屋号西り兼島の島袋三郎氏が美里村長時代の明治の終わり頃に造られたという。現在では一番東側の大きいアーチ橋だけが残って、あとの二つは埋め立てられて宅地造成され跡形もなくなってしまい、かえすがえすも残念至極である。沖縄市の文化財としてしてされた「カフンジヤー橋」より少し古く、しかも構造的にもかえって勝るとも劣らないと思われるからである。
知花ムラの古島である福地原(現倉敷ダム付近)には知花の祖先の人たちが利用し、大変恩恵をこうむったカーとして「ガマンメーヌカー」と「カディカルガー」のニか所があった。や門中のカーメーには現地まで行って拝むことは容易でないので、やむを得ず知花グスクの神アサギ付近からウトゥシ(遥拝)しているのが現状である。
字知花当原、知花高橋の上流約100メートル、屋号新仲元の川向こうにあった。
部落の上にあるので「イーヌカー」とも呼んでいる。カーは昔、立派な石積みで水量や水質も比較的に良く、最近までかなり利用された。現在は県による河川改修工事のため埋没消失し、その補償として平成3年9月、近くの土手の上に移動して拝所として整備されている。池武当の村びともこの井戸を利用していた。旧歴8月14日の行事で拝まれていた。