もし、生きているのなら、
キイタンの事まだ覚えてる?
去年、探索に行った先で、キジさんの写真を見せた人から、
「綺麗な子だね。」とよく言われました。
「そこらへんに似ている子はいるけど、
こんなに綺麗じゃなかった。」とか
言われたのです。
昨日雑誌を読んで読んでいた時、
「子猫は野良になると事故やカラスに食べられてしまって、
生き延びる確立が低くなる。」という文があって、
心が凍りつきました。
キジさん、以前に行方不明になって
見つかった場所は、カラスがうろちょろしている
畑の近くだったのです。
探索に行った時にも、キジさんを最後に見た人の
家の近くがその畑だったので、
キジさんはもしかしたら―。
今日はキジさんの悲惨な最期が頭に浮かんでは、
目を覆ってしまっています。
もしそれが真実ならば、探しに行った時には
すでに時が遅すぎたのです…。
せっかくこんなに綺麗に生まれたのだから、
それに見合った幸せをつかんでいてほしいのです。
どうかこれも私のいつもの取り越し苦労の思い過ごしで、
近所の人に、居住地区の行事の時の話の中で、
「あ、この子ウチにごはん食べに来てるよ!」
「今度会わせてもらえますか?」
「じゃ、来た時には呼ぶよ。」
―とかなればいいのに。
キイタンには、
「これから暖かくなるけど、どっか行っちゃうなよ。」
「遊びに行っても、すぐ戻って来なよ。」
「絶対ウチに帰って来なね。」
「あんたは唯一、ウチで生まれて育ち続けている宝なんだよ。」
―などと、どこにでもいそうな、
パッとしない毛色の虎猫に向かって、
さらに過保護になってしまっています。
でも、キイタンはしっかり者で、
私にそんな事言われなくても、
5分か10分くらいで自分から帰って来て、
「戸を叩いて開けろ!」って
言うんですけれどもね。