ホワイエでコーヒーを飲みながら♪

観劇の感想もろもろな備忘録。
「つれづれな日々のつぶやき♪」からお引越し中。

『唐版 風の又三郎』ストーリーと感想

2020-08-30 10:19:52 | テレビ
WOWOWライブで2020.7.14(火)放送の舞台『唐版 風の又三郎』を録画したものを観ました。
感想を備忘録として書きます。

※ネタばれがありますのでご注意ください。
※文中の敬称は省略させていただきます。





【番組の詳細】
唐十郎の傑作戯曲に窪田正孝、柚希礼音がダブル主演。唐十郎と蜷川幸雄に師事した金守珍が演出。北村有起哉、丸山智己、江口のりこ、風間杜夫ら豪華キャストが集結。


【ストーリー】
東京の下町で二人の男女が出会う。精神病院から逃げてきた青年「織部」と宇都宮から流れてきたホステスの「エリカ」。
二人はこの物語の中では恋人同士ですらなく、ただ、『風の又三郎』のイメージを介して結びつくもろい関係。
汚濁した世間で生きていくことができずに病院に収容され、それでも、自分を連れ去る風の少年に憧れる織部は、その面影をエリカの中に見い出す。エリカは自衛隊の練習機を乗り逃げした恋人を探す道連れとして、この純真な青年を利用する。探し当てた恋人はすでにこの世の人ではなく・・・・。
ガラスのような精神を抱え、傷つきながらもひたすらに、自らの「風」である女を守ろうとする青年と、いまわしい血の記憶に翻弄される女との、恋よりも切ない物語。


【感想】
美術はシンプル。冒頭から中盤まで煉瓦造りの洋館がバックに建つ。「大日本帝国探偵社」の看板が掲げられている。上部に菊花文様のステンドグラスがはまり、後光が差すように光が注がれる。
冒頭、バトンにたくさんの風鈴が吊り下げられて風に揺れている。押井守監督『ビューティフル・ドリーマー』のワンシーンを思い出した。
その後、盆が回転し転換、教壇と黒板、木の椅子が現れ、また転換、石造りの陸橋や幾つもの古ぼけた電話ボックスが現れる。

衣装は幻想的な少女を描く、イラストレーターの宇野亜喜良が担当しているからか、エリカのスタジャンは自身のイラストが描かれていた。素敵なスタジャン♡ 織部のポケットがたくさんついた白いAラインコートも素敵♡

音楽劇とまではいかないかもしれないが、歌も多い。エリカ役の柚希礼音の伸びやかな歌声、赤い下着姿のダンスシーンでは、すっ!と苦もなく上がる足さばきが素晴らしい。

笑いをとるための小芝居が多い。教授役の風間杜夫の顔に噛み砕いたソーセージを吹きかけたり、乱腐役の六平直政と教授役の風間杜夫がキスをしたり。

「耳」「飛行機のエンジン音」「腐る」「肉」「血」が幾度となく出てくる。唐作品の言葉はモチーフとなって繰り返され、別の言葉と意味を与えられ、また戻ってくる。

歌舞伎の『小栗判官』とシェイクスピアの『ベニスの商人』が物語に絡んで、迷宮に更に迷い込んだ気分になる。エリカが1ポンドの肉を食らうシーンは特にグロテスク。

精神病院から抜け出した織部は、触れただけで壊れそうなガラスの精神の持ち主。純粋無垢な少年のようだ。窪田正孝が全身全霊で演じていて胸を打ち、涙が出てくる。何故だかよくわからないのに…。
エリカはそんな織部を自分のために利用しようと近づくのに、次第に彼を守ろうと姉のような、母親のような、恋人のような存在になっていく。この関係性を絆というのだろうか…。
紆余曲折あり、エリカを巡って夜の男と織部は決闘し、刺されて息絶える。そして、また冒頭のシーンへ戻っていく。織部は岩波文庫の『風の又三郎』を携え、彼の「風の又三郎」を探す。エリカは女性だが、彼の「風の又三郎」として出会う。
ラスト、織部とエリカは棺桶の飛行機、スリッパの翼をかって空を駆ける。哀しいのに美しい、胸が熱くなるシーン。

迷宮を彷徨いながら、なにかを探し続けているような感覚がずっと続く、グロテスクなのに哀しくも美しい作品。

放送ではなく劇場で直に観たかったな。。


【余談】
突然、ドアを開けて夜の男が出てきて鶏の首を絞め、客席に放り投げた。あの後、受け取ってしまった観客の方は鶏をどうされたのだろう?と思っていたら、その後、登場した乱腐役の六平直政が拾った観客に更に絡み、鶏を回収していた。観客の方、お疲れさまでした。
客席いじりがある舞台は、それに運悪く?当たってしまうと大変~。経験上、最前列、通路付近は危ない…。

六平直政といえば、頭頂部の造形は女性器を模しているそうな。本人が舞台上でカミングアウトしていたし。「今日はWOWOWの録画なんだけど…。自分で「やる!」と言ったから。アップにならないから…。」みたいなよくわからない言い訳?を言っていた。
確かに、それらしい造形に観えたけど。頭頂部のアップはなかったと思う。

更に、六平直政といえば、教授役の風間杜夫にキスするシーンで本当に舌を入れてきたらしく、舞台上で風間杜夫に「てめぇ!六平!舌入れたな!」と、逆ギレされていたし。やらかしたいのね、いろいろと。


【リンク】





『唐版 滝の白糸』ストーリーと感想

2020-08-29 10:29:33 | テレビ
WOWOWライブで2020.7.14(火)放送の舞台『唐版 滝の白糸』を録画したものを観ました。
感想を備忘録として書きます。

※ネタばれがありますのでご注意ください。
※文中の敬称は省略させていただきます。





【番組の詳細】
作家 泉鏡花の『義血侠血』に着想を得て、劇作家 唐十郎が書き下ろし、蜷川幸雄が演出した傑作。大空ゆうひ、窪田正孝、平幹二朗が出演して話題となった2013年の舞台。


【ストーリー】
人気のない、廃墟のような街を歩く少年・アリダ(窪田正孝)は、後ろをつけてくる怪しげな男・銀メガネ(平幹二朗)に気づく。銀メガネは10年前に幼いアリダを誘拐しようとして逮捕・投獄された男だった。
おぼろげな記憶を呼び起こしたアリダだが、1年前に兄と心中しひとり生き残ったお甲(大空ゆうひ)と会うために彼女を待ち続ける。困窮するお甲は、兄に貸していたお金を返して欲しいとアリダに頼んでいたのだ。
やがてお甲が姿を現わすが、アリダは銀メガネの口車に乗りお金を渡してしまっていた。そんな中、奇妙な男・羊水屋(鳥山昌克)も現われ、かつて兄と事業を起こす約束をしていたことを明かす。
兄との間にできた子どもを育て、日々のミルク代にも困っているお甲は、銀メガネを説得し、お金を引き出そうと決意。自身唯一の技である水芸・滝の白糸を披露する。
 

【感想】
薄汚い路地裏の安アパートを舞台に唐十郎の世界が広がっている。決して美しくはないのに、その中にキラリ!となにかが綺麗に光る感じがした。
アリダとお甲、銀メガネの三人を中心に、過去と現在、絡み合った人間関係と言葉遊びのような台詞が流れて、迷宮に迷い込んだ気分にさせられる。
漏斗、蛇口、血、衣紋掛け、三面鏡、洋服ダンスが繰り返し台詞に出てきて、別の言葉に転換されていく。そういえば、野田秀樹の舞台も言葉遊びの連発だな。。と。こちらのほうが後発でものすごいスピードで台詞を連射していくのだが。

情が深いがしたたか、誠実でもありふしだらでもある、はすっぱな水商売の女、お甲を大空ゆうひが好演していた。これが宝塚退団後の初舞台とは思えないはまりようだった。
いかがわしくうさん臭い銀メガネを、平幹二朗はさすがの存在感と演技力で体現していていた。
シャイで陰があり、どこかふわふわしている少年アリダを、窪田正孝はひりつくような表情と体で演じていた。
ほかにも芸人のつまみ枝豆、井手らっきょが配達員役で出演していたが、違和感なく自然だったのはいい意味で意外だった。

美術は全体的に暗い。裏路地に建つ薄汚れた廃墟寸前の安アパートがあり、転換もなし。
クレーンやリモート操縦だと思われる補助輪付きの自転車、根太が腐って崩れ落ちる物干し、水芸の水など仕掛けがいっぱい。そういえば、蜷川幸雄は水を使うのが好きだったな~。
パッヘルベルのカノンが流れる中、お甲がお金をいただくために演じる水芸のシーンは哀しく美しい。。


【余談】
観始めてから気がついた!これ、以前にもWOWOWで放送されて録画して観たのだった。。
最近は完全放置にしているフォトチャンネル「観劇の備忘録♪」で確認したら、やっぱり観ていた。まぁ、おもしろかったのでもう一度観てもいいな~と思って観ることにした。WOWOWは何回も同じ映画や舞台を放送するので、時々「あれ?これ観たんだっけ?観てないんだっけ?」となる。
それをなくそうと画像だけのフォトチャンネルを始めたのだけど、観てすぐに画像をアップしないと、これはこれで忘れてしまうのだ。やれやれ。。本末転倒だな~。
これからはできるだけ、簡単にでも感想をアップしておこうと思う。画像だけだとどうも忘れてしまうみたいだし。

改めて、蜷川幸雄さん、平幹二朗さんのご冥福を心よりお祈りいたします。


【リンク】
観劇の備忘録(録画やDVDを含む) フォトチャンネル「観劇の備忘録♪」



『風博士』ストーリーと感想

2020-08-23 10:39:54 | テレビ
WOWOWライブで2020.3.21(土)放送の舞台、日本文学シアターvol.6【坂口安吾】『風博士』を録画したものを観ました。
感想を備忘録として書きます。

※ネタばれがありますのでご注意ください。
※文中の敬称は省略させていただきます。





【番組の詳細】
中井貴一、段田安則、吉田羊、趣里、林遣都、渡辺えりらが出演。坂口安吾へのリスペクトから書かれた北村想の新作。
過酷な時代を生き抜く純粋な魂に胸打たれる感動作。


【ストーリー】
敗色濃厚な戦時下。大陸で生き抜くフーさんという男がいた。彼は軍人相手の娼館を経営している。
風を読み、風を知るその男の周りには、どこか不思議な人々が集まってきて……。
 

【感想】
戦争という重い題材を扱いつつ、どこか懐かしく、ほっこりするような気分になる不思議な作品。全体を流れるトーンや風情がそうさせるのかもしれない。
美術はとてもシンプルで転換もほぼほぼない。背景に空が広がり、ネコジャラシがぽつぽつと生えている。夕焼けになったり、満天の星空になったりする。これがとても美しく郷愁を誘う。

太平洋戦争の末期、敗戦の色が濃くなっている頃、大陸の前線基地に軍人専用娼館があった。経営者は元々学者で、軍の要請で風船爆弾の開発に関わっていた人物だ。風を読むからフーさんと呼ばれ、風のように飄々として穏やかな男。
フーさんの会社の従業員、平たく言えば娼婦の梅花、鶯も曰くありげ。実は鶯は敵国の間諜、スパイだった。
自分で志願した19歳の少年兵は、両親が間諜で逮捕された過去がある。その過去から汚名を注ぐつもりで志願してきた。
大尉はある風変わりな少女を連れてきて、この娼館で預かって欲しいとフーさんに頼みこむ。大尉の同胞の妹だという。幸子という少女は目の前で両親と兄を敵の攻撃で一度に亡くし、以来そのショックで心が壊れたままだ。今で言うPTSDだろう…。実は大尉も自国のために、敵国の間諜をしていたのだった。

戦争の最中でも若い少年兵と幸子に淡い恋が芽生える。ほっ。。とする間もまく、少年兵は敵の銃弾を受け貫通銃創で死んでしまう。幸子は二度も目の前で兄(兄と混同している)を亡くし号泣する。

「この戦争は誰が始めたんだろう?」
少年兵が生前、抱いていた疑問に答えは出たんだろうか…。そこには一体何があったというのだろう…?

ラスト、皆で改造したオートバイに乗り脱出を図るシーンは、ほっ。。として後味がよかった。

シス・カンパニーの作品は俳優陣が実力者揃いだし、奇をてらったり、ファン層目当てのキャスティングもしないし、落ちついて安心して観ていられる良質の作品が多いと思う。


【余談】
戦争を題材にしている作品は映像でも舞台でも、あまり観ないことにしている。それは決して無関心ということではなく、観ていて辛くなってしまうから…。
自分自身は戦争を知らない、全く知らない。それでも親や親戚から子供の頃に、少しは話を聞いた記憶がある。子供心にも聞きながら、まるで別の世界のお話のように感じていた。あのデパートが並ぶ大通りが瓦礫の山だったとか…。その傷跡は欠片もなかったから…。
決して忘れてはいけない時代の事柄。全く知らない自分。平和で豊かな時代に生まれ育ち、こうして生きていることにどこかしら罪悪感のようなものをずっと感じていた。
だから余計に戦争を題材にしている作品が苦手なんだと思う。他人事のように思えないから…。


【リンク】


過去のシス・カンパニー作品の記事はこちら。 → 「シス・カンパニー公演 『叔母との旅 TRAVELS WITH MY AUNT 』」



『贋作 桜の森の満開の下』ストーリーと感想

2020-08-16 10:49:41 | テレビ
WOWOWライブで2020.3.8(日)放送の舞台 NODA・MAP第22回公演『贋作 桜の森の満開の下』を録画したものを観ました。
感想を備忘録として書きます。

※ネタばれがありますのでご注意ください。
※敬称は省略させていただきます。





【番組の詳細】
妻夫木聡、深津絵里、天海祐希、古田新太ほか豪華俳優陣で送る、演劇史に残る圧巻の舞台。野田秀樹の最高傑作との呼び声高い壮大な物語をお届けする。


【ストーリー】
ヒダの匠の弟子である耳男と山賊のマナコ、素性を語らないオオアマの3人は、ヒダの王家の夜長姫と早寝姫のために仏像を彫ることを命じられた。しかし、3人の仕事は一向に進みそうになく…。
王家と大海人皇子、鬼と人、それぞれの野心と世界が絡まり合いながら物語は進んでいく。


【感想】
この作品を劇場では観ていないけど、何かの折りに放送されたものを観たような…観たことはないような…。その辺りの記憶は定かではない。
野田作品の最高峰と言われるだけあって、よくはわからないものを残しつつ、美しく哀しい世界が描かれていて、素直に「演劇っていいなぁ。。」と改めて思った。
美しい美術、特に満開の桜の大木が美しい。紅色の伸縮性のある幅広の紐を使い、いろいろなものを表すのも演劇ならではの手法だと思う。観ているものの想像力と集中力が必要で、演者と時間と空間を共有している気持ちになれるところがまたよいのだ。

登場する俳優陣は、若手もいるがベテランの実力者揃いで安心して観ていられるし、役柄にぴったりと嵌っていて誰もが魅了的だった。野田秀樹を除いては…。
こんなことはあまり書きたくないが、「夢の遊眠社」も野田秀樹もとても好きだからあえて言うと、野田秀樹はこの作品では脚本と演出に専念されたほうがよかったのではないだろうか…。体はまだ動くけど声が出なくなってきていて、ざらついて耳障りになってきている。これは実は数年前から感じていたこと…。
「夢の遊眠社」時代から本人がずっとやり続けていた、小柄ながら身体能力が高く、高音で恐ろしく早口に台詞を畳み込む、エキセントリックな役柄がもう無理なんだと思う。正直、観ていて痛かった…。本人のカンパニーなのに、ひとりだけ作品の世界から浮いてすらいた。
素敵な作品なのに、ずっと観ている間中、この違和感が去らずに困惑していた。なんなんだろうな…この感覚は。

『エッグ』でも思ったが妻夫木聡と深津絵里は、年齢不詳の若々しさと瑞々しさと華がある。特に、深津絵里は美しいけれど鬼のような恐ろしい姫を体現していた。思わず引き込まれてしまった。
ほかのナイロン100℃の大倉孝二、村岡希美、第三舞台の常連だった池田成志、新感線の古田新太、秋山菜津子、門脇麦も素晴らしかったと思う。

できれば、劇場でこの世界観に浸りたかったなぁ。。としみじみ思った。やっぱり舞台は生が一番だと思う。放送や配信もそれはそれでよいのだけど。


【リンク】