ノアの小窓から

日々の思いを祈りとともに語りたい

赦し

2014年10月15日 | 聖書




       
     そのとき、ペテロがみもとに来て言った。「主(しゅ)よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合
     何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」
     イエスは言われた。「七度まで、などとわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。
                             (新約聖書・マタイの福音書18章21節22節)

   


     人を赦すことは難しいですね、
     まして、
     「あなたの敵を愛し、迫害するもののために祈りなさい」(マタイの福音書5章44節)
     などと言われても
     ほとんど不可能な感じがするのです。
     ただ、私たちが人を赦さなければならない理由は書かれています。
     この聖書箇所(18章22節)のすぐ後に、ある王とそのしもべのたとえ話が語られています。

     あるしもべが王から一万タラントのお金を借りていました。これはもう途方もない高額で、
     ある解説書によると約六千億円です。王はそのしもべにこの借金を清算するように言ったのですが、
     もちろん、とうてい払えない額で、しもべは王にひれ伏して、猶予を願います。
     すると、王はかわいそうに思って、彼を赦し借金を帳消しにしてやるのです。

     ところが、このしもべが仲間のしもべに行き会います。彼はその仲間に
     三百デナリの貸しがあるのを思い出し、
     首を絞めて「金を返せ」と詰め寄り、仲間が「もう少し待ってくれ」と、
     必死に頼んだのに、訴えて牢に入れてしまいます。
     それを聞いた王は烈火のごとく怒ります。、
     「わたしがお前をあわれんでやったように、おまえも仲間をあわれんでやるべきではないか。」
     ちなみに三百デナリは、労働者の一年分の賃金とされていました。
     今なら、三百万円くらいです。                          

     
                 ★★  ★★★

     

     私たちが人を赦さねければならない前提は、私たちがすでに、神様から許されているからだと、
     聖書は語ります。
     神様から、気前よく赦していただいたのに、
     自分は、他人に対してわずかな貸しさえ許せないの間違っていると、言われているのです。
     それでも、もちろん、難しいですね。
     「あの貸しはわずかではない」「あの恨みは一生忘れない」と繰り返し思うことが多いのです。

     
     いえ、その前に、
     神様に途方もない借金を帳消しにしていただいたということ自体、
     認めがたいのが、人間ですね。

             ため息です!!

        。