ノアの小窓から

日々の思いを祈りとともに語りたい

ベンゲット州ハコン村シナクバット・スナクバット教会

2014年03月11日 | 日記


                            厳しい! 

                 平地が少なく、狭い道に車を停める苦労もまた格別!
                 それにしても、吉原先生(赤い車)、おじょうず!

 
                         





 時間といえば、ここでは「フィリピン時間」が流れています。
 「フィリピン時間」なることばは、S牧師から聞きました。十時に始まると言われれば、十一時だという慣習です。まさか、テレビの番組や会社の始業時間までがそのような緩やかさだとは思いませんが、教会の礼拝に関しては、日本ほど正確ではなさそうでした。

 日本の教会――と言っても、自分の出席している教会と、旅行の時などにお訊ねするいくつかの教会の礼拝しか知りませんが、まず、予告された時間に正確にスタート。終わりは、少々前後がありますが、これも大きくゆらぐことはありません。
 最近の日本では、礼拝をネットで生中継しているところもあり、その場合とくに正確さが求められます。

 
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 礼拝は午後四時スタートということでしたから、スナクバット教会に着いたらすぐにも礼拝が始まると思っていたのです。
 庭で、まだ鶏を始末しているとき、それは礼拝後の「夕食」? それにしても、のんびりしているね。料理をする人は礼拝に出ないの? なんて思っていました。


 まず、食堂でコーヒーの時間です。男性方は男同士でおしゃべりをしていますが、だいたい山の人は無口なので、さほど盛り上がっている様子もありません。

 やがて、礼拝は、六時からだと告げられました。


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 「少し近所を散歩しましょう」とS牧師の誘いで、Uさんと私はついて行くことにしました。

 高い石の階段を上がり、道路に出て、先生のあとを歩きます。舗装のない山路ですが、日本の山と比べるとあまり風情があるとは言えません。
 案外木々が少なく、草や木の緑もみずみずしいとは言えません。
 ちょうど乾季であることも影響しているようです。
 道沿いの民家もトタンぶきの粗末なものばかりです。


 そのうえ、ここの人たちは、そっけないのです。
 家の門口から私たちを見ても会釈するでなし、笑顔もなし、でも、敵意があるとか無視しているというのでもない。
 
 「ここに初めて来られた時は、村の人は受け入れてくれましたか」と私は、S先生に尋ねます。
 「いや。無視ですよ」先生は、さらりと答えます。

  
 四十年前、ここはまだ道らしい道がなかったので、先生は車を乗り捨ててから五時間~十時間も歩いて山間のを訪ねたのです。
 重い荷物をもって、山を上り、降り、流れや吊り橋を渡って目的地を目指すのは、まさに信仰と熱心と体力がなければできない活動でしょう。

 それでも、信頼してもらうまでには、さまざまな苦労があったようです。
 まず、フィリピン人の協力伝道者といっしょに、何度も通います。
 同じ目線で同じ生活をするために、フィリピンに入ったときに、徹底的に現地の水を飲んで、半年間下痢に耐えたと聞きます。半年たったころ、どんな水を飲んでも大丈夫になったとか。

 豚も鶏も、今よりずっと素朴な調理法で、焼け焦げた毛がスープに浮いていたし、塩以外の調味料もなっくて「おいしい」とは到底言えない「ごちそう」だったとか。それでも、出されたものを喜んで食べるかどうかが、受け入れてもらうリトマス試験紙みたいなものだったので、もちろん、S宣教師は喜んで食べたのです。
 「こいつらは自分たちと違う。自分たちをバカにしている」と思われたら、そこで、伝道はおしまいになってしまいます。

 確かに、神様の愛を伝えるのに、「上から目線」「自分の立場や文化中心」の態度は感心しないと思います。

 しかし、ひとたび受け入れてもらうと、山を越えて迎えに来てくれて、重い荷物も運んでくれる人たちだったそうです。


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 一キロも歩いたでしょうか。霧の中に小学校がありました。

 日曜日で誰もいないのですが、校門の脇の通用門が開いていて、写真が撮れました。 


                   


 ちなみにフィリピンは、現在六・四制を基礎教育としています。それを六・四・二制に移行中だとのことです。小学校の就学率は九十六パーセントほど。中学まで行けるのは、六十パーセントくらいと言いますが、大学への進学率は二十七パーセントだとか。




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コーヒーの産地ベンゲット州

2014年03月10日 | 日記


 海外旅行の醍醐味は、時間が変わることではないでしょうか。

 時差があって、時刻が変わります。これは、自分の立ち位置が絶対だと思いがちな自分中心を、しらしめてくれます。
 フィリピンは、日本より一時間時計を遅らせるだけでよいのです。一時間くらい、どおってことないようなものですが、時計を遅らせるときの気分はなかなかですね。関西弁風に言えば、「もうかった!!」。

 ヒースローに降り立って八時間も遅らせるとなると、大変な儲かり方なのですが、この儲けはとても「しんどい」のです。もう眠いのに眠らせてもらえない、そんな気分です。帰ってから、得しただけのツケが追って来るのも心配です。
 何しろ、日本は「日出ずる国」ですから、この面ではどこへ行っても最初は得して、後で、支払うことになるのです。

 
 もう一つの時間は、時計とは関係のない次元に入ることです。
 スケジュールがしっかりと定まったツアー旅行では、時計の針を気にしながら行動しなければならないかもれませんが、でも、日常と言う次元を超えていることに「違いがない」?

 

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 さて、私はUさんと、なんとか教会堂のある「低地」にまで下りていきました。
 しばらく、鶏が殺されて鍋に入る様子などを眺め、写真を撮り、それから、食堂でコーヒーをふるまっていただきました。

 なんとベンゲット州は、コーヒーの名産地だったのです。コーヒー好きの私の心配は、山でコーヒーが飲めるかどうかだったのです。ところが山の教会の、どこへ行ってもコーヒーが出てきたのです。
 


                 


     写真・スチールのカップがコーヒーカップです。
        どこでも、このカップでコーヒーが出されました。
        カップは、ウエッジウッドとかロイヤルコペンハーゲンとか香蘭社とか有田焼でないと・・・   
        という人は、マイカップ持参がよいかもしれません。



 ドリップやサイフォンではなく、たいてい鍋で煮るようです。当然、日本でいつも飲んでいるのと味は違いますが、どちらが上とは言えませんね。砂糖は出してくれますが(砂糖も産地です)ミルクはありません。
 
 牧場になるような平地はなく、乳牛など見たこともありませんから(乳製品はあります)、仕方がないですね。

 そもそも電力供給が不安定で停電もしばしばの国では、牛乳を売るのは難しいかもしれませんね。

 でも、ふんだんにお代わりできる熱いコーヒーに心が和みました。





     

 
 

ハコン村スナクバット

2014年03月09日 | 日記


 二月二日の日曜日は、バギオを出発してから四日目でした。
 さて、四日目の夜は、ふたたび奥地の教会での礼拝に出席することになっていました。

 行先は、ベンゲット州ハコン村スナクバットのスナクバット教会です。
 昼食後、間もなく出発しました。
 ジョン先生の車と、吉原宣教師の車(S牧師、Uさん、さとう)、F先生の車を連ねて走ります。
 二時間ほどのドライブでした。




                      



 未舗装のところもありましたが、それほどのがたがた道を走らず、到着しました!

 道路からはるか下に見えるのが、スナクバット教会です。
 道路からせいぜい50~60メートルですが高低差は10メートルくらいあって、すごい勾配に見えます。
 自然の大きな石を適当に置いた階段は、それぞれいろんな向きに坐っていてすべりやすい。 幼い子どものように腰を下ろして、手で体を支えながらやっと降りるありさまです。
 現地の小さな子供が、にこにこ笑いながら、はやてのようにそばを駆け下りていきます。

 私たちは、バリアフリーが当たり前の世界に住んでいるのだと、改めて発見しました。

 建物は裏にもう一つあるのですが、写真に写っていません。裏の建物は食堂兼集会室でした。



 
                     


 たき火は、「歓迎の夕食」を作っているところです。鶏が、目の前で、四羽、鍋の中に消えていきました。
犬があさっているのは、鶏の爪の先です。


                             






                       

楽しい日曜日

2014年03月06日 | 日記



 アバダン教会は、今回訪れた教会の中で、特別大きな教会でした。

 
 教会堂は、一階部分は駐車場、礼拝室は二階ですが、ゆうに300人は収容できるでしょう。
 
 二月二日の日曜礼拝は、このアバダン教会に出席することになりました。
 十時三十分、広い会堂はほぼ満員になり、礼拝が始まりました。

 賛美(歌)とお証しがあって、説教です。
 お証しは、オワサン教会を開拓したアバダン教会の長老さんたちの喜びの声でした。

 説教はS牧師です。英語の説教を、ジョン先生が地元の言葉(カンカナイ語)に通訳します。
 私たちには、吉原宣教師が耳元で、日本語に訳して下さいました。



                         


 写真、礼拝30分ほど前の様子です。
    講壇も大きくりっぱです。背景に絵が描かれています。これは日本の教会にはない?!!
    フィリピン人の好みかもしれませんが、なんだかお風呂屋さんの壁みたい。    
    会堂は、L字型に礼拝室があります。L字の内側は母子室です。

                          

   写真、礼拝が終わって帰っていく人たち。 


                              


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 礼拝後、別室で一行(S牧師、吉原宣教師、F先生、ジル先生、私たち)は、ジョン先生と昼食をいただきました。教会員の方の手作りだとか。とてもおいしいフィリピン料理でした。

 ・マンゴー、牛肉、セロリの葉の炒め物、サラダ(四角いパット)――このサラダは東京のデパ地下で売ることができる!
 ・肉と赤米入りごはん
 ・フルーツサラダ、(イチゴ、きうり、パパイヤ)、セロリの葉の炒め物(あるいは、さっと揚げたのかも、作ってみたい味でした)
 。カレー、ごはん。(辛くないカレーですが、とてもおいしかった!)

   調理した女性たちが同席していないのでレシピが聞けませんでしたが、全体のバランスもよく、見た目も美しく、楽しい食卓でした。。
   


                              


 この大きな教会堂の三階と四階はまだ内装が完成していませんでした。祈りの部屋や学習室、小集会室に造られるはずの、小部屋を少しだけ見学させていただきました。
 また、屋上に上がってアバダンの町の眺望を楽しみました。



                      



       


     


                 

アバダン教会

2014年03月04日 | 日記



  アバダン教会は、献堂式を行ったオワサン教会の母教会です。
 
 アバダン教会の牧師ジョン先生はなかなか力のある方で、たくさんの姉妹教会を立てています。大柄で豪放に見える方でした。
 もっとも、こちらの男性は無口で、特に女性とはあまり口を聞かないようです。
 何となく、「男は男同士」の社会? 食事も私たちはお客なので同じテーブルに招かれましたが、たいてい、女性と男性のテーブルは別でした。

 ジョン先生は佐々木先生が育てた伝道者ではなく、佐々木先生が山に入ったときにはすでに力ある伝道者として活躍しておられたのです。
 佐々木先生もジョン先生の活動範囲では伝道を行わなかったそうです。

 でも、今回、「山の旅」の案内に、ジョン先生が大きな役割を負っておられるのは明白でした。
 
 二月一日の夕方、ジョン先生の先導で、ボギヤス村に着いた私たちは、ジョン先生の信徒の経営するホテルに投宿し、ジョン先生の信徒の経営する中華料理店で夕食に招待されました。

 風の強い台風模様の天候でしたが、熱い卵スープに舌鼓を打つことができました。

 ホテルは断崖に建っていて風の音がすごかったのですが、きれいな部屋で、ベッドも清潔でした。

 ここで、パソコンをつなぎ、メールをチェックしたり、送ったりしました。




                  
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      写真・すべて翌朝二月二日朝のものです。翌日は好天でした。
         ホテルのバルコニーで、
         カトリック教会
         通りを挟んで、隣町マンカヤンの入り口
  
  

 


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