2018.3.11
この時季毎年被災地に思いを寄せている。
少しだけ知った宮城県石巻に!
私が行ったときはまだ仮設住宅があった。
復興半ばの石巻の現状を見た。
案内してくれた人の車の中で泣いた。
大川小学校の跡地で泣いた。
あの日のことは忘れてはいけない。
風化させてはいけないと思う。
多くの人が犠牲になった。
人々の思いはいかばかりかと思う。
残された人はどんな思いで日々を過ごしたことだろう?
帰るふるさとを無くした人もいる。
知り合いは浪江から娘さんのところに息子さんと非難してきた。
娘さんのところも狭いのですぐに同じマンションの別の部屋に越した。
息子さんは結婚をした。
その人はもう古里には帰れないと言う。
悲しい現実がそこにはあった。
買い物に行ったらスーパーで東北応援と称して浪江焼きそばを売っていた。
明日にでも食べようと思う。
皆の心に明るい笑顔が戻りますようにと、思う。
この時季毎年被災地に思いを寄せている。
少しだけ知った宮城県石巻に!
私が行ったときはまだ仮設住宅があった。
復興半ばの石巻の現状を見た。
案内してくれた人の車の中で泣いた。
大川小学校の跡地で泣いた。
あの日のことは忘れてはいけない。
風化させてはいけないと思う。
多くの人が犠牲になった。
人々の思いはいかばかりかと思う。
残された人はどんな思いで日々を過ごしたことだろう?
帰るふるさとを無くした人もいる。
知り合いは浪江から娘さんのところに息子さんと非難してきた。
娘さんのところも狭いのですぐに同じマンションの別の部屋に越した。
息子さんは結婚をした。
その人はもう古里には帰れないと言う。
悲しい現実がそこにはあった。
買い物に行ったらスーパーで東北応援と称して浪江焼きそばを売っていた。
明日にでも食べようと思う。
皆の心に明るい笑顔が戻りますようにと、思う。