ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

母は転院しました

2024年04月24日 | 介護
朝から支度して駅からバスに乗り母の病院に行った。
今日は転院をする日です。
地元の総合病院はいい病院でした。
お会計も済ませ、母は持ってきたパジャマに着替えさせられ、ストレッチャーで介護タクシーに乗りました。
お世話になった介護師さんにお礼を言い、私も介護タクシーに乗り込みました。
新しい転院する病院は3つ先の駅からバスです。
新しい転院する病院に着いて入院手続きをして先生や看護師さんの話も聞き、足りないものは病院の売店で買い、渡して帰ってきました。
母と会話は出来なかったけど、これから新しい病院では面会も制限されるけど、
母はまだ生きています。
いろいろあったけど今は母が愛おしいですね。
産んでくれてありがとう!
育ててくれてありがとう!
延命治療は望まないことにしました。
あれこれ管を繋がれて会話も出来ない母はかわいそうです。
今なら頓珍漢でも会話は出来ます。
たとえ小さくやせ細っても私の母には変わりはないのです。
毎日キッチンで料理を作るたび母のことを思います。
母にも食べさせたいなと思います。
そして私の作る料理の味付けがこの頃母の味に近づいてきました。
もう母と食事は出来なくなったけど、母の作る料理はどれも美味しかったですね。
サクサクのコロッケ、揚げたての天ぷら。
味のしみた煮物。
思い出すとどれも美味しいですね。
特にオムライスやハンバーグは絶品でした。



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人前で泣くのは良くないと

2024年04月24日 | 介護
そもそも人前で泣くのは良くないと母から教えられました。
父の姉の連れ合いが亡くなった通夜でおばさんが号泣していました。
それを見た母が私に小声で「人前で泣くのはみっともないね」と言いました。
それ以来私は涙を封印しました。
自分の父の通夜にも葬式にも泣かずに納骨式にも泣きませんでした。
主人の両親の通夜や葬式にも泣きませんでした。
あれ以来涙と言うものは封印したのです。
ましてや人前で泣く。
みっともないと教え込まれたので泣きません。
最近泣いたのは一昨年主人が入退院を繰り返し、救急車を4回呼びました。
さすがに泣きました。
倒れた時に驚いて泣いて、救急車に同乗して泣いて、病院の待合室で泣きました。
極力悲しい映画やドラマは見ないようにしています。
しかし、母が亡くなったときはおそらく号泣することでしょう?
あっ!言い忘れましたがあの島倉千代子さんが亡くなった時も泣きませんでした。
ファンとして参列した告別式でも泣きませんでした。
泣かないことは母にとっては良いことのようですね。
子供のころからピーピー泣いていた私はすっかり泣かない他人になりました。
でも、数年前に石巻に行って東日本大震災の様子を見てきて石巻で号泣しました。
乗せてくれた車の中から見た仮設住宅に号泣し、降り立った大川小学校で号泣したことは忘れません。

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