ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

その2

2025年01月16日 | 介護
夢にまで見た結婚生活も甘くはなかった。
母から逃れるための結婚だった。
ところが働けなくなった母を我が家で引き取ることになったのだ。
再び私は母の管理下のもとで暮らすのだ。
入っていた地元の手話サークルも活動が夜で母には嫌がられた。
そのうち代表に得ればれそうになり、辞めた。
女性の夜の外出を喜ばない母がいる。
どこへ行く?
何しに行く?
何時に帰る?
これらは母の定番だった。
子供の頃から大好きだった歌手の島倉千代子さんの舞台やコンサートやイベントも嘘を付いて夫婦で出掛けた。
嘘を付いてもばれるのだ。
母と生活は嫌だった。
その頃友達が始めた近所の小規模作業所に時折ボランティアに行っていた。
その後、ボランティアでは悪いからと、時給をくれるようになった。
自宅で母と居たくない私は週に何日か?何時間か?近所でもそこに行くことは良かった。
そのうち私に更年期がやってきた。
初めはホットフラッシュだった。
そのうちこれはおかしいぞと、近所の婦人科に行っていたが、他所の婦人科2箇所も受診することになる。
病気は他のものだった。
おそらく母との同居から来るストレスもあったのだと思われる。
婦人科系の病気ではなかったのだ。
市内の精神科は嫌だと、その頃の知り合いに聞いた心療内科に通うことになるのだ。
心療内科の診察に付いてきた母は、先生に自分の言いたいことを言う。
原因は母にもあるのだが、自分が原因だとは思っていない母がいた。
子供を身ごもった経験もないのに、毎日つわりのように辛かった。
働いていた近所の小規模作業所にも迷惑がかかるので辞めた。
仕事は賄いのおばちゃんだった。
午前中は賄いのおばちゃんで午後からはメンバーさんと同じ仕事をした。
私の中には記憶はないが、ある時砂糖を山ほど買ってきたことがあったそうだ。
いくら砂糖が安売しているからといっても相当の数だったそうです。
職場には迷惑がかかるので私は仕事を辞めた。
連日の辛さに吐き気に気晴らしで旦那と出掛けるも辛かった。
同居の母は自分に原因があるとは思ってもいなかった。
私と心療内科に行く度に自分の都合のいいような話をするのだ。
私は母に心療内科に付いてこないように言うのだ。
その後は心療内科の診察は土曜日にしてもらい、主人が付き添いだった。
あれほど辛かった私も薄皮を剥ぐように回復していった。
しかし、この病気は治ると言うことはありません。
ある程度良くなって寛解しても心療内科に通うのです。

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