ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

65歳は今さら何も出来ないしね

2023年05月24日 | 日記
65歳は今さら何も出来ない。
日々認知症の母の介護と病気を抱えた主人の介護でついつい自分のことは後回しなのだ。
ばね指がひどいので整形外科にリハビリに行こうと思ったら一日雨でやめてしまった。徒歩も嫌だし、いつくるかわからない遠回りのバスも嫌なのだ。
今朝は今朝とて、晴天なのでたまった洗濯物をする。
今日は午後から休んでいたパソコン教室に行くのだ。
ネットで頼んだものと、UNIQLOで頼んだものが届くのが楽しみだ。
他人には見せられないので、自分が死ぬときに棺に入れてやろうと思うのだ。
何もかも全てを母に反対されて生きていたので、まだ母が生きていると言うとこは何も出来ないのだ。
ましてや65歳では?
習い事の類いはダメだった。
やりたかったこともダメだった。
このまま介護の人生で朽ち果てて死んで行くのだ。
私の葬式にはやはり坊さんを呼んで簡単なお経を手短にお願いしよう。
戒名もお願いしよう。
好きなシャンソン歌手と浪曲師はギャラを払って呼んで、好きなシャンソン1曲と好きな浪曲1席をお願いしよう思う。坊さんは主人の実家の菩提寺の曹洞宗の坊さんを呼ぶ。
考えたら短くても戒名は欲しいと思うのだ。
坊さんのお経は般若心経でいいぞ!
それなら私も少しは知っている。
基本新興宗教やカルト教団やそう言ったものは嫌いなのだ。
やるのは本人の自由だが勧められるのは嫌なのだ。
私は私が生まれる前から父が新興宗教の信者だった。
私は今で言う宗教二世なのだ。
しかし、父は私に勧めてこなかったし、私が二十歳を過ぎた頃にやめた。
私は何の教えも学んでは来なかった。
強制的に家でお経をあげることもなかった。
新聞と雑誌は届いたが読みもしなかった。
やるのは自由だが他人には勧めないことだ。
我が家に子供が出来ないことで、主人のおばさんがある新興宗教の信者夫婦を連れて我が家に昔やって来た。
2時間あまり話して、帰ってもらった。
隣の部屋に居た母も呆れていた。
拝んで子供が授かるなら入るのだ。
辛くお金のかかる不妊治療はしないのだ。
そこに本当の幸せは無いのだ。
宗教と言うものは単に心の拠り所でしか無いのだ。
他人が何を信じようと構わない。
私はその人の人柄と性格を重んじるのだ。

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