もう、人間は嫌だ。
なぜ世の中は理不尽ばかり生じるのか?
自分さえ良ければの他人の集まりなのだから仕方がないと言えば仕方がないのだ。
母親に管理された生活に嫌気を指し、理不尽だらけの世の中に嫌気を指し、人間でいることに飽き飽きしている。
他の生き物に生まれてくれば、嫌な思いもせずに、しがらみも無くて良いと思う。
思い通りにならない人生を今さら嘆いてみても仕方がないと…。
つくづくしがらみも何もなく生きている他人が羨ましく思えてならない。
好きなことを好きなようには私の場合は無理に近いのだ。
母親に管理された生活からの脱却も無理に近いのだ。
大空を自由に飛び回る大きな羽根が欲しいと思う。
いつまでたっても母親の手の中で囲われている生活に嫌気が指している。
さりとて死ぬ勇気も持ち合わせてはいない。
つくづく好き勝手に自由に生きている他人が羨ましく思えるのだ。
箸の上げ下ろしよろしく、重箱の隅をつつくように母親にあらゆることを指摘され生きてきた身の上に真の幸せなど無いのだ。
もしも子供を持ったらそんな母親になるまいと決めてはいたが、残念なことに子宝に恵まれず、世間からは女も失格のようなレッテルを貼られて、悲しい思いもしている。
女性に生まれてきたら当然のように結婚して子供を産み育てることがいまだに当たり前のような風潮があるのも事実です。
結婚も出来ずに子供も産めない女性はまるで女性ではないような思いをされ、終われているのも事実です。
ごく一部の他人のそのような考え方や意見がいまだに世の中にははびこっているのです。
他人にコロナ禍だからスティホームでオリンピックを応援しましょうと言った本人は外出し、何がスティホームなのかと、私は疑問を投げ掛けているのです。
密は避けましょうと言われても、車のない、免許もない我が家は必要に迫られて電車に乗っているのです。
車のある他人は人混みを避け、自然を満喫し、楽しんでくるのです。
そこに生じる矛盾はどうしたらいいものかと?
この頃思うことは世の中に対する生きづらさであります。