ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

近所のお使いでも心配するので

2021年02月21日 | 介護
同居認知症の母は近所のお使いでも心配するので、もうお使いには行かないぞと決めた。
食べるものが底をついても日用品が無くなっても行かない決めた。
そしたらお使いに行けと言う。
まったく矛盾している。
認知症になると日頃の言動は矛盾だらけです。
謝罪はしません。
なぜなら自分が一番正しいと思い込んでいるからです。
天皇陛下より首相より正しいと思い込んでいるからです。
外出5分ではどこにも行かれません。
小学生よりひどい門限が5時です。
冬場は4時に雨戸を閉めます。
夏場は5時に雨戸を閉めます。
近所の手前みっともないらしいです。
洗濯物を4時過ぎまで干していると笑われると言います。
生乾きでも3時までに取り込みます。
どうも通りすがりに他人に笑われるようです。
近所の他人に笑われるようです。
おまけに女性の門限は5時だと言われました。
もう、何を言っても無理です。
無駄です。
皆さんのお宅はどうですか?
歩けもしないのに出てゆくと言います。
荷物も持てないのに出で行くと言います。
行くところも無いのに出てゆくと言います。
昔の話をするだけならまだ大丈夫です。
つじつまの合わない理不尽な話をしてくるようなら要注意ですね。
味覚が変わり作った料理に文句を言うようになったら気を付けてくださいね。
それからやたらと寒い寒いと言って何枚も服を着るようになったら気を付けましょう。
自宅の母は下着を3枚着てその上に4枚着ています。
それなのに病院に行くときはコートも着ずに出ようとします。
ましてやいつも行くかかり付けの内科では暖房の効かない入り口横に座りたがります。

宇宙一不味いご飯?

2021年02月21日 | 介護
私の作るご飯はどうやら宇宙一不味いご飯のようです。
母に文句を言われました。
キッチンが一番の居場所でした。
出前を取るとか宅食を頼もうかと言い出しました。
今まで口に合わないご飯を食べていたようです。
言い訳はお前が大変だからと言いました。
私の楽しみを奪い取るのです。
洗濯も大変ならしてやると言いました。
最近の洗濯機は昔と違うのです。
色柄ものも下着もおしゃれ義もセーターもいっしょくたんに同じ洗剤で同じように洗われては堪ったものではありません。
私も介護の限界ですね。
母は行くところも無いのに、出ていくと言います。
この問題をどう解決したら良いのでしょう?
悲しくて辛いのは私です。
泣きたいのは私です。
母は自分が認知症をいいことに、私を重症の病人に仕立て上げています。
相談に行きたくても外出5分ですからね。
電話も全て聞かれます。

ふて寝をする

2021年02月21日 | 介護
ふて寝をする。
頭にきて拗ねてふて寝をする。
パソコンの前の狭いスペースで洋服を着たままふて寝をする。
エアコンの暖房も切られ、気が付けば寒かった。
ひざ掛けを捜してかけて身体を丸めても寒かった。
話はいつも「言った」「言わない」の水掛け論だ。
食器のない食器棚に食器の並ばない食卓である。
作ったおかずの残りを入れておく入れ物さえも無いのだ。
ガラガラの食器棚に寂しげに数点の食器が並ぶ。
もはやちぐはぐな大皿も無く、3枚しか無かった取り皿も無い。
どんぶりも無い。
小鉢も無い。
無いないづくしとは良く言ったものだが、わびしいし切なさも覚えてくる。
夕食のおかずを鍋やフライパンから突っつく。
もう悲しいを通り越して涙も出てこない。
母はとうとう家を出たいと言いだし、どこかの施設に入るとまで言いだした。
行政のことをわかっていないのか?
認知症の介護認定調査員の他人を呼んで欲しいと言って来た。
その他人は介護認定の調査に来るだけで、施設に関しては別なのだ。
ましてや母のようなものがすぐに入れる施設など無いのだ。
施設に入るにはそれなりのお金もかかるのだ。
タダでは入れないのだ。
すぐにダダで入れてくれるところなど無いのだ。
母は認知症と診断される以前から自分さえ良ければの他人だった。
物事を相手の立場に立って考えない他人だった。
私はいつも母の支配下に置かれ、母の言うことは絶対だった。
母の前で秘密は許されず、若い頃彼氏が出来てもデートに行ったら内容を事細かに母に聞かれるのだ。
付き合った男と手を繋ぐことも、キスをすることも許されないのだ。
結婚して10年間だけはささやかな自由を得られた。
その後、母と同居したらまた自由は奪われたも同然の生活になった。
母は私たちが寝るまで寝なかった。
夫婦の会話にも口をはさんで来た。
毎回買ってきたものに文句は言われた。
「昔はそんなもの無かったわよ」が、口癖だった。
食べ物の好き嫌いも多く、食卓に並ぶだけで文句を言う。
私は起きてエアコンの暖房を入れたが寒くてならない。
今日は午前中地元の朝カフェのzoomがあるので参加して気分転換でもしようと思う。

すっかり荒れた手で

2021年02月19日 | 介護
すっかり手が荒れている。
びびやあかぎれに加えてコロナ禍なのでどこへ行ってもアルコール消毒を強いられる。
指先のひび割れに皮膚科で処方された薬を塗り込む。その上に市販のハンドクリームも塗る。
右手の甲はかぶれたように赤く腫れ上がり、痛々しい。
黒くなった指先や私の手のあっちこっちが痛々しさを物語っている。
去年から今年にかけてはコロナ禍なのでどこへ行ってもアルコール消毒を強いられるので、益々痛々しい手と化している。
ゴム手袋をすればいいものを、横着をして素手で家事をする。
気の特なほどに真っ赤に腫れ上がった手の甲は
とても人様に見せられるものではない。
昨夜は同居の認知症の母にとひと悶着あった。
このところなかなか思うようにお風呂に入れないでいる。
夜中にこそっとお風呂に入るが、髪の毛を洗って顔を洗って身体を洗ったら出てくる始末です。
ゆっくり湯船に浸かることさえままならない。
作った食事に文句を言われ、
私が掃除をした後を嫌味のように掃除をする母がいる。
真夜中が唯一の自分の時間で
自室でパソコンを覗き込む。
たまに持ってくる缶のアルコールをつまみも無く呑むのだ。
今日はだいぶ以前の節分の豆をつまみに缶ビールをあけた。
我が家じゃあ節分の豆は私しか食べないのだ。
豆を食べつつブログを書く。
読者なんていなくてもいいのだ。
日頃の鬱憤や書きたいことを書く。
時々人間やめたくなるけど、旦那には私しかいないと思うと死ぬ気も失せるのだ。
何だかんだ言ったって旦那が一番なのだからね。
芸能人はただの憧れにすぎません。
友達だって本当の友達と言える人は果たして何人いるのでしょう?
年賀状のやり取りだけで疎遠になった友人もいます。
親友と呼べる人はいるのでしょうか?
来週当たり近所の友達の家に話に行こうかと思います。
ただ向こうも都合があると思うので、相手の都合の良い日に行こうと思います。
困ったときの駆け込み寺のような他人です。
今日は電話して自宅にいるなら行こうかな?
玄関で手土産あげて帰ろうかな?
彼女ばっかり頼ります。
年上だしね。
近所だしね。
つまみにしていた節分の豆が無くなりました。
缶ビールも残り2口になりました。
大丈夫です。
アルコール以外と弱いんです。
毎日呑みませんからね。
真っ赤になって腫れ上がった手を見て、ひびとあかぎれの手を見て、生きている証だと感じています。
父が早くに亡くなってくれたことは良かったかも知れませんね。
ただ、思うように親孝行も出来ずに親不孝な娘だったと思います。
今にして思えばろくでもない父でも私は父が好きだったのですね。
親孝行をしておけば良かったと後悔しています。
真夜中に私は泣いています。
亡くなった父のことを思い泣いています。
近所友達今日の午前中は居るかな?
午後なら居るかな?
彼女のアドバイスは的確です。
今は誰かの胸にすがって思いっきり泣きたい心境です。

63年間すべてを否定されて生きてきました

2021年02月18日 | 介護
私は63年間すべてを母に否定されて生きてきました。
そうなるとこんな大人になるですよ。
発言を否定され、行動を否定され生きてくるとこんな大人になります。
反抗しても反抗しても無駄な抵抗でした。
すべてを管理されはむかっても逆らってもこの世で母の意見は絶対です。
そんな親に育てられた娘はこんな娘になります。
そもそも母は私が更年期から病気なったときに、私の病気のことを自分の妹弟に言いました。
なのにそんなことは言っていないと言います。
認知症になったら益々ひどくなり、理不尽な暴言を吐きます。
夕食のおかずが3品並ぶと1品でいいと言い、後片付けをしているそばから手伝ってくれるのですが、毎回食器を食器棚に適当にしまうので、困ってしまいます。
しまいに食器が多いと言うので、大半の食器を処分しようとしたら怒り出しました。
母は自宅の食器の大半は私が嫁入りに買ったものと旦那の母が買ったものだと思い込んでいるようです。
さすがに30年以上経つと食器も壊れてきて処分して新しいのを買いますよね。
それを母は30年前の食器だと思い込んでいます。
実は自宅の食器の類の一部は粗品でもらったものや、結婚式や葬式のお返しの品です。
気に入った食器もあったのですが「この食器は使わないで!」と、言われてこっそり隠した器もあります。
そんなこんなで食器は捨てないでと言われ、他の物を捨てるように言われました。
おそらく母は私たち夫婦の物はすべて捨てて欲しいようです。
部屋から何もかも無くなることを望んでいるようです。
そういえばやたらと調味料があると言いだし「昔はこんなに無かったよ」と、言いだしました。
味噌や醤油や砂糖や塩などが配給だった時代のことを言っているのだと思われます。
話は戻りますが「明日からおかずは1品だよ」と、言ったら怒りましたからね。
自分で3品は多いと言っておきながら、私が1品にすると言ったら文句を言いましたよ。
「洗い物面倒だから器に盛らない」と、言ったらそれにも怒りました。
母曰く食器は食器棚のどこにしまっても良いそうです。
使うときに探せと言いました。
私は連日母の理不尽な言動に振り回されています。
とうとう母は「この家を出て行く」と、言いだしました。
行くところは無いんですよ。
おまけに遠くまでは歩けません。
バスも電車も一人では無理ですね。